人気blogランキングへ

サブカル雑食手帳

メールはこちらへ

2009年02月28日

吾輩は蚤である

Image011.jpg 

「吾輩は蚤(のみ)である。吾輩は生れた、とにかく生れたーところがいつ、どこで、どんなぐあいでとなると、とんと見当もつかない。なにはともあれ、読者諸賢の信をまつほかはなかろう。ただ申せることは、吾輩出生の事実も、これより述べる回想録の真実性も、ともに厳然たるものであることである。」(富士見ロマン文庫「吾輩は蚤である」より)

古今東西、好色文学の世界には匿名作家によって書かれた作品が数多く存在するが、今回取り上げる「吾輩は蚤(のみ)である」(原題は「蚤の自叙伝」)は傑作であるにもかかわらず、最初から作者名不祥のまま世に出たという作品である(1877年にロンドンで発行されたというのが有力説)。内容はタイトルが示す通り、一人の少女の体に住みついた蚤(これに人間同様の知恵が与えられている)の眼を通して、男女愛欲の諸相を綿密に描写したものである。なるほど蚤や虱(しらみ)といったような極小の生物にわが身を仮託しての女体探検(そういえば昔、「女体探検」と題する裏ビデオがあったことをふと思い出した)の妄想はそれだけでも血沸き肉躍るほど楽しいものであるが、この作品の真価はそうした好色的部分よりも、「天真爛漫な少女を飽くなき快楽のエキスパートに仕立てあげる聖職者を始め、欺瞞にみちた俗物紳士の背徳を蚤の眼をとおして痛烈に諷刺する。」と表紙折り返しのキャッチコピーにある通り、スウィフトの「ガリヴァー旅行記」などとも通底する優れた諷刺小説としても読むことができる点であろう。
 ところで「吾輩は蚤である」というタイトルを聞いて、まず誰もが真っ先に連想するのは文豪漱石の言わずと知れた、あの諷刺小説のことではなかろうか。実はこの本の訳者(江藤潔)も解説文の中で、この作品と漱石との因縁浅からぬ関係について多くの言葉を費やしている。では最後にその部分を紹介しておくことにしよう。

「ところでわが国の文人で最初にこれを繙(ひもと)いたのは夏目漱石であるという説が、近年かまびすしい。根拠とするところは『吾輩は猫である』のジャンルである。その可能性はきわめて大で、一九〇〇年ロンドン留学という時期から考えても、また、由来わが国の文人にしてポルノグラフィに興味を抱かざる者の稀なことより推してみても、当然漱石が異郷の憂いを『蚤』などで散じたものと思われる。ひょっとすると、こんどは夢で胡蝶ならぬ猫になったのかも知れない。しかし、やがて千円札に肖像が載るくらいの文人であるから、『猫』は人間五欲のうち色欲だけには眼をつぶったのであろう。その選択が是か非かは批評家に委ねるが、私見を申せば『猫』をして金田家の天井裏あたりから色情場面を覗かせれば、かの名作の瑕瑾(かきん)とも言えるキザな感じを、いくぶんでも和らげられたのではないか。 
  いずれにせよ、漱石が『蚤』にアイデアを得たのはほぼ間違いないところである。その書き出しはもちろん、結末において、共に人間の醜さに愛想をつかし、片やナムアミダブツと沈没し、こなたピョンピョンと何処かへ退散移住である。蚤も猫もその生存を人にたのむ生物で、ことに蚤はノラ猫あれどもノラ蚤なしという全面依頼型である。かかる寄生生物にも嫌悪を催さしめるほど、人間五欲の迷いは浅ましいとするところに、両者の主張の渾然一致が認められる。」



---------------------------------
Power up the Internet with Yahoo! Toolbar.
posted by 下等遊民 at 19:56| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

モンド映画の集大成

image/yakenn2002-2009-02-25T02:43:00-1.jpg

 昨年末に古書店から購入したまま、ほとんど目を通さずに仕舞いこんであった「この12年間のドキュメント映画集大成ー100万人の映画館・1968年2月特別版」(新風出版社刊)に最近やっと目を通して、まず驚いたのが表紙(↑の写真)のモデルであった。実はこのモデル、クロード・ルルーシュ監督がその出世作「男と女」(1966年)の前年に撮ったドキュメント映画「女を引き裂く」(東京第一フィルム配給)に登場していたニューハーフ(但し、このネーミングは1980年に大阪のショーパブ「ベティのマヨネーズ」のママであるベティと桑田佳祐が対談をしていた時、ベティが「男と女のハーフよ」と言ったのを聞いて、桑田が「じゃあニューハーフだね」と言ったのが起源だそうなので、当然のことながら「女を引き裂く」が公開された1965年頃にはまだ使われておらず、この本でも専らゲイ・ボーイという言葉が使われている)のストリッパーだったのである。このところTVのバラエティ番組では、はるな愛や椿姫彩菜といった美形のニューハーフタレントがアイドル的人気を呼んでいるようだが、この表紙の美女(?)を見る限り、1960年代も現在も、男が女に化ける技術に関してはほとんど差がないといってもいいのではないか。「女を引き裂く」という映画についてのこの本の解説には、「パリといえば女の本場、そのパリジェンヌたちを対象に、生理・美容・性欲・食欲・打算・嫉妬など、美醜さまざまな女の生態をズバリえぐり出そうというのがこの映画です。」とあるが、掲載されている写真から推察するに、パリジェンヌのみならずパリのゲイ・ボーイ達の生態をもズバリえぐり出した映画であるようだ。まあいずれにしろ、この本を見れば、1960年代にモンド映画と呼ばれる、「ヤラセ」をふんだんに交えたバッドテイストなドキュメント映画がいかに数多く作られていたかが容易に納得されるが、そのほとんどが今もってソフト化されていないのはやはり残念な話ではある。ちなみに「女を引き裂く」の他にこの本の中で紹介されているモンド映画のタイトルをいくつか拾うと、「世界猟奇地帯」「信じられぬ世界」「骨と肉」「ゼロ地帯をムシる」「地球のあばた」「世界のはらわた」「地球の皮をはぐ」「世界を裸にする」「パリ・エロチカ」「黒い世界」「裸の魔境」「快楽と神秘」「甘い夜」「セクシー・ワールド」「セクシーの夜」「世界の夜の歴史」などで、↓の写真は「世界の夜の歴史」の中のもの。

image/yakenn2002-2009-02-25T02:43:00-2.jpg 


---------------------------------
Power up the Internet with Yahoo! Toolbar.
posted by 下等遊民 at 02:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

酒は涙か溜息か

 中川昭一前財務・金融相が演じたあの偉大(?)なる醜態と
それに続く今回の辞任劇は、まさしく麻生政権そのものの現在
の迷走ぶりと泥酔ぶりを象徴しているかのようでもあり、文句
なしに抱腹絶倒モンであったが、TVでこの騒動を連日見てい
るうちに、もしもこの辞任劇のBGMにふさわしいようなもの
を昭和歌謡の中から探すとすれば、果してどんな曲があるだろ
うかという、これまた実にばかばかしい思念が私の腐った脳髄
の中に湧き起こってきた。そしてその結果として、私に選ばれ
た曲は以下の通りとなったのであった。

♪酒は涙か溜息か(♪酒は涙か 溜息か 心のうさの捨てどこ
ろ)作詩:高橋掬太郎 /作曲:古賀政男/歌:谷真西美 
1931http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=UJXRAAAxVLo&feature=related

♪スーダラ節 (♪ちょいと一杯のつもりで飲んで いつの間
にやら梯子酒)作詩:青島幸夫/作曲:萩原哲晶/歌:植木等
 1962http://www.youtube.com/watch?v=Y-_AKuZefSM

♪帰ってきたヨッパライ(♪おらは死んじまっただ)作詩:ザ・
フォーク・パロディ・ギャング/作曲:加藤和彦/歌:フォー
ククルセイダーズ 1967http://www.youtube.com/watch?v=6-O24msoOac

♪ブランデーグラス(♪これでおよしよ そんなに強くないの
に)作詩:山口洋子/作曲:小谷充/歌:石原裕次郎 1977

♪日本全国酒飲み音頭(♪酒が飲める 酒が飲める 酒が飲め
るぞ)作詩:岡本圭司/作曲:ベートーベン鈴木/歌:バラクー
ダ 1979

♪ぐでんぐでん(♪俺とおまえは飲んだくれ)作詩:康珍化/
作曲:鈴木サブロー/歌:萩原健一 1980

♪望郷酒場(♪おやじみたいなヨー 酒呑みなどに)作詩:里
村龍一/作曲:桜田誠一/歌:千昌夫 1981

♪氷雨(♪飲ませてください もう少し)作詩:とまれりん/
作曲:とまれりん/歌:佳山明生 1982

♪酔っぱらっちゃった(♪飲めるわよ酒ぐらい たかが色つき
水じゃない)作詩:千家和世/作曲:浜圭介/歌:内海美幸 
1982

♪男と女のラブゲーム(♪飲みすぎたのは あなたのせいよ)
作詩:魚住勉/作曲:馬飼野康ニ/歌:日野美歌・葵司郎 
1986 













--------------------------------------
Power up the Internet with Yahoo! Toolbar.
http://pr.mail.yahoo.co.jp/toolbar/
posted by 下等遊民 at 22:09| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月12日

女王様レッスン

 にしおかすみこと言えば、ボンデージファションに鞭、そして「ブタ野郎!」といった言葉などで、今やすっかりその女王様キャラが定着したお笑いタレントであるが、彼女が「化けの皮」(ゴマブックス)という著作を出すにあたって、本物の女王様について団鬼六氏と対談した時の一節が前回取り上げた団鬼六氏の「SかMか」の中に収録されている(第4章「Sの快楽」)。にしおかすみこの印象については、団鬼六氏いわく、「本人はSMのことは全くわからない。自分がSかMかもわからないんです。私の見たところ、Sっ気よりMっ気の血が多いように思われました。」とのことであるが、確かにこの対談を読む限りでは彼女にSの匂いは全くと言っていいほど感じられない。一部を引用してみよう。(以下引用)

にしおか・・・・・初耳ですよ(笑)。そんなすごい女王様と似てたらうれしいですけど。だってそれなりのことをしてあげないといけないんですよね?

団・・・・・それは僕が教えてあげるから。簡単なもんですよ、罵倒すればいいんだから。

にしおか・・・・・先生はそうやって、いろんな女王様を育ててるんですか?

団・・・・・いやいや、育ててはいませんよ、知り合いにいるだけで。奴隷が一番、喜ぶのね、“聖水”・・・・・つまりオシッコを奴隷に飲ませるんです。

にしおか・・・・・えー!! 私のオシッコを奴隷に!? イヤダ! 絶対イヤダー!!

団・・・・・Mの人があまりに「女王様の聖水が飲みたい」というからね、僕が一度ビール瓶に女王様のオシッコを入れて持って行ってあげたんだけど、それはイヤなんだって。ちゃんと口をつけて飲みたいそうですよ。女王様は奴隷と一緒にトイレに行って、飲ませるんです。それができなきゃ、女王様にはなれません。

にしおか・・・・・いや・・・・・そんなになりたくないですよ・・・・・。それならテレビで「ブタ野郎!」と言ってるほうがいいですよ。

団・・・・・だから普段はテレビで「ブタ野郎!」と言って、たまにトイレで奴隷にオシッコを飲ませてあげればいいんですよ。

にしおか・・・・・どんだけ勧めるんですか!(笑)「たまに」とか、そういう問題じゃないですよ! 一回だって、ドキドキしますよ。向いてないと思います。だって、私、テレビで女王様をやってるときでさえ、自分がSかMかわからなくなるときがいっぱいありますもん。 あっ、先生! 先生から見て私はSですか? Mですか?

団・・・・・どっちでもないと思いますね。(引用ここまで)


 ちなみに彼女はかつて女王様見習いとして実際のSMクラブにも行ったことがあるという。もしかしたら、本来Sっ気のない彼女が、多大な無理をして「本物の女王様」を演じようとしている姿にこそ、あるいは彼女ならではの持ち味があるといえるのかも知れないが、そこで彼女に是非読んでもらいたいのが山田詠美の「ひざまずいて足をお舐め」(新潮文庫)という半自伝的小説である。実は山田詠美の小説はこれ一冊しか読んだことがないのだが、「本物の女王様」としてSMクラブで働いていた時の体験をもとに書かれたものだけに、ここにはそこで得られた人間や社会への鋭い洞察が盛り込まれていて、何度読み返しても飽きないほどの面白さがある。

 「『私は女王様の便器になりたいのです』
   男が恍惚の表情でそう言い始めると、彼女、走ってトイレに駆け込んじゃった。頼むよ、こんなの序の口なんだぜ。ああ、そうかい、本当におまえは可愛らしいことを言う。ご褒美にたっぷりとお仕置きしてあげようねえ。そう言って嫣然(えんぜん)と微笑むくらいの余裕がなきゃあ困っちゃうよ。私ら、素人じゃないんだぜ。私なんか、奴隷にそんなこと言われると、ますます燃えちゃって鞭を持つ手にも力が入るね。この男は今、自分に何もかも許してるって思うと最高じゃない。男の沽券とやらのない世界、私は充分に知り尽くせて、とっても幸せだね。そんなもんがある世界で、どれ程の男そして女がつまらない目にあってることか。」(山田詠美「ひざまずいて足をお舐め」より)

 






--------------------------------------
Power up the Internet with Yahoo! Toolbar.
http://pr.mail.yahoo.co.jp/toolbar/
posted by 下等遊民 at 22:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月05日

性癖と性格

41hO7gNCBkL._SL500_AA240_

「人生には、Sの時代とMの時代があって、どうもうまくいかないというときに、ツイてないなとしょぼくれるんじゃなくて、今Mの時代だからとここも楽しんじゃおう、と考えられたら、次のSの時代を迎えやすいですね。」(団鬼六著「SかMか」より)

「人間の本性を知るなら血液型よりSM型だ!」という帯の言葉に惹かれて、団鬼六氏の最新エッセイ「SかMか」(朝日新聞出版)を読んでみた。最近はTVなどでも、人気タレントが自分の性格を、「ドS」とか「ドM」とかいった言葉で語ることも珍しくなくなり、もはや「SM」という言葉からはかつてのような淫靡なイメージがすっかり失われてしまったかのようであるが、なるほどこの本もそうした風潮に合わせてか、性癖としてのSMよりも、パーソナリティ類型としてのSMについて語ることに一応重点が置かれてはいる。とはいえ、そこはかつてほとんどのSM雑誌の巻頭SM小説を書いていたという「SMの巨匠」のことである。社会的なSM(つまりパーソナリティ類型としてのSM)についても、常に実体験に基づいた性的なSMとの絡みで語られているところがミソなのである。例えば、性的な部分(夜の顔)がSの人はそのまま社会的な部分(昼の顔)もSであり、性的な部分(夜の顔)がMの人はそのまま社会的な部分(昼の顔)もMなのかという点について、著者は、必ずしもそうとはいえず、男女を問わず、「夜の顔」と「昼の顔」が全く逆転している場合も少なくないという。昼間は厳しくて社員から恐れられているワンマン社長が、夜は女王様の足下に跪いて奴隷として奉仕するといったように。また社会的なSMも一個人の人生を通して決して不変のものではなく、若い時には社会的Sだった人が老年になるにつれ社会的Mに変貌してしまうといったこともあり、著者自身もそのパターンであるとか。ちなみに私の場合、社会的M(性的Mではなく)といった言葉を聞いてすぐさまイメージされる人物が作家の太宰治と漫画家のつげ義春なのである。作品の中から少し引用みよう。 

 「けれども、自分には少しの不安もなく、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、ああ、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついて、その時の追憶を、いま書くに当っても、本当にのびのびした楽しい気持ちになるのです」(太宰治「人間失格」より)


 「留守は十七、八の小僧ひとり、これが自分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、ニ階の居候(いそうろう)をまるで馬鹿か気違いくらいに思っているらしく、大人(おとな)の説教くさい事まで自分に言い聞かせ、自分は、ひとと言い争いのできない質(たち)なので、疲れたような、また、感心したような顔をしてそれに耳を傾け、服従しているのでした」(太宰治「人間失格」より)

 「そういう貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊まりたくなる。そして侘しい部屋でセンベイ蒲団に細々とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、なんともいえぬ安らぎをおぼえる」(つげ義春「貧困旅行記」より)

 なんともM的な文章であるが、それではこの二人の「夜の顔」はどうだったのであろうか。興味深いところであるが、私には知る由もない。




---------------------------------
Yahoo! JAPAN - Internet safety for children and parents.
posted by 下等遊民 at 21:23| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月02日

お尻とその穴の文化史

siri.jpg 

「おちり、おちり、おちり万歳ですな!」(ゴンブローヴィッチ「フェルディドゥルケ」より)

 市の図書館に行き、ジャンルにこだわることなく、ただ漠然と書棚に並んでいる本のタイトルを眺めていると、突如、とてつもなく面白いタイトルの本に遭遇することがある。つい先日も「お尻とその穴の文化史」(作品社)というブッ飛んだタイトルの本を歴史書のコーナーで発見した。但し、この本の著者であるジャン・ゴルダンとオリヴィエ・マルティがともに肝臓・腸・消化器を専門とする医師であるせいか、「本書は、まず第一に、学問的な著作である。身体器官の中でも、もっとも秘められた部位、知られざる器官についての、最新の研究成果と知識をまとめた。そして、この器官のもつ文化的・芸術的、そして性的な意味について、歴史的に検証した。」と序文にあるにもかかわらず、「お尻とその穴」に関する文化史的な考察よりは、どちらかと言うと医学的な考察の方に重点が置かれている感が否めない。「お尻フェチ」を自認する私にとっては、結局のところ「第4部 芸術とアヌス―お尻とその穴に魅せられた人々」だけが拾い物だったというべきか。それにしてもこの本、私のような「すれっからし」ならいざ知らず、人によっては図書館で借りるにしろ、書店で買うにしろ、少しばかり抵抗があるタイトルではないかと思うのですが如何?    




---------------------------------
Power up the Internet with Yahoo! Toolbar.
posted by 下等遊民 at 02:46| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。