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サブカル雑食手帳

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2009年03月27日

イベント情報「新宿お七 」

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「燃える燃える、あたしの恋が、町を焼く」(寺山修司著「不良少女入門ーぼくの愛した少女」所収「浪曲『新宿お七』」より)

先日、NHK教育で放映された「『ETV特集』犬の記憶〜森山大道写真への旅」のDVD録画版を友人に見せてもらい、1960年代以来、一貫して「路上の犬」としての目線を保ちながら、都市(新宿、山谷、釜ケ崎など)の路上写真を撮り続けてきた森山大道氏の話もさることながら、番組の中頃に突然挿入された女性浪曲師・玉川奈々福さんによる「浪曲『新宿お七』」(作・寺山修司)の鬼気迫る口演に完全に魅了されてしまった。

 「昭和43年10月21日。『国際反戦デー』の夜。『安保粉砕、ベトナム反戦』を叫ぶ実力行使の全学連各派は同日、国会前より新宿駅東口に集結。警官隊と衝突し、戦後最大の騒乱事件となりました。バリケードがわりの機動隊の装甲車には火が放たれ、各派の先陣争いのはげしさもさることなれば、迎えうつ機動隊も一騎当千のつわものばかり!」という前置きから始まり、後は江戸の「八百屋お七」ならぬ昭和の「新宿お七」(新宿の安酒場の女学生ホステス)のまさに燃えるような恋情が切々と歌われる。
その後、「浪曲『新宿お七』」が収録されている寺山修司の「不良少女入門ーぼくの愛した少女」(大和書房)という本を図書館で借りてきて読んでみると、番組の中で歌われたのはこの作品の中のほんの一部であること、また状況設定にも微妙な違い(本文の方には「昭和四十五年六月十日。午後九時ニ十分。衆議院本会議において、日米安全保障条約の無質疑承認が裁決。実力行使の三派全学連と同革マル派は、なだれをうって国会に乱入。」とされている)があることがわかったが、いずれにしても玉川奈々福さんの情念溢れる口演には、新宿という魔境(森山大道氏の言葉を借りれば「偉大なる悪所」)に渦巻くエロスとタナトスが見事に表現されているような気がした。ということで、4月4日(土)に開演される玉川奈々福さんの「新宿お七」、情念ドロドロ系の好きな向きには絶対おすすめ。

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2009年03月24日

創刊号だけで消えた「ドラキュラ」

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吸血鬼といえば一般には不死の存在というイメージが持たれているようだが、吸血鬼の代表格の名前を誌名に戴きながらも恐ろしく短命(出たのは創刊号のみ)だったのが1973年秋に新樹書房から出た「ドラキュラ」(唐十郎責任編集)という雑誌である。この創刊号は特集が「血をあびるダンディズム」となっており、唐十郎氏、若松孝ニ氏、足立正生氏といった面々がそれぞれ血にまつわる評論やエッセイを書いたりしているが、血に関係した言葉だけを集めてそれに解説を付した「血語小辞典」(桑原茂夫編)がどこかビアスの「悪魔の辞典」を連想させ、今読んでもこれが一番面白い。取り合えず、この中の項目から2、3拾ってみることにしよう。

「冷血」ー体温が外気温より低いこと。また情の冷ややかなること。用例としては冷血動物、冷血漢など。ただし、一見冷血漢とうつる者の体内には熱い血がたぎっていることが多い。<人を殺した人のまごころ>をうたったうたもある<夢野久作>。また世にハードボイルド小説と称される分野もあり、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラー、さらに大薮春彦らが熱血を秘めた冷血漢を生みだしている。一見して血の通った人間風、実は正真正銘の冷血動物というのも現実には多くいて、吸血鬼といえどもうっかりこの種の恐るべき人々には近づけない。血も涙もない奴というではないか。

「血相」ー顔つき、顔色のことをいうが、ふつうは「血相を変える」などと使う。血をみる時には血相を変えるのがあたりまえで、それ程血相を変えない男を見たら相当場数を踏んでいるとおもっていい。あるいはコワイ冷血漢であるかだ。吸血鬼は血を吸う前に血相を変える。クリストファー・リー扮するドラキュラの場合はご存知のように眼が血走ってゆくのがよくわかる。似たことばに「血色」があるが、こちらはもっぱら温和な方に使われる。顔の色つやをあらわし、血をみることと全く関係ない。

「貧血」ー血液、とくに赤血球が減少すること。顔面蒼白、心悸亢進、めまいなどを伴う。吸血鬼に血を吸われれば当然この状態に陥り、自らも血を求めざるをえなくなる。もっとも、吸われる前にすでにしてこの状態に陥りそのままブッ倒れてしまう者も多い。貧血を起こし易いのを貧血症といい、貧血症患者はこのところとみに増えているようである。吸血鬼はあお白き貧血症患者をば相手にはしない。貧血の対語として「充血」がある。こちらは文字どおり血の充ちるのを意味するが、局部的に充血すれば勃起現象をひき起こすことからみても、どうも貧血症はいただけない感じである。

 さて「血語小辞典」はこれくらいにしておいて、次に面白いのは、「もしあなたがドラキュラなら第一番目に誰の血を吸いますか?」という「ドラキュラアンケート」である。こうした荒唐無稽な質問に、白石かずこ(詩人)、大久保清(犯罪者)、大西赤人(作家)、加藤郁呼(詩人)、佐伯俊男(画家)、鈴木志郎康(詩人)、鈴木清順(映画監督)、塚本邦雄(歌人)、堤玲子(作家)、中井英夫(作家)、真崎・守(劇画家)、松山俊太郎(インド哲学研究者)、矢川澄子(ドイツ文学者)、吉行淳之介(作家)といった人達が大真面目に答えているところがこれまたいかにも時代を感じさせるが、まあ創刊号だけで消えてしまったところを見るとあまり売れなかったのかも知れない。      


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2009年03月19日

貸本漫画から「堕靡泥(ダビデ)の星 」まで

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2004年に亡くなった漫画家佐藤まさあき氏の自伝本「『劇画の星』をめざして―誰も書かなかった<劇画内幕史>」(文藝春秋)を市の図書館で借りて読んだ。小学生の頃、近所の小さな貸本屋で借りて読んだ「黒い傷痕の男」(本書によるとこのタイトルは当時流行っていた「黒い傷痕のブルース」から拝借したものであるとか)や「影男」といったハードボイルド漫画から、後に代表作となった「堕靡泥(ダビデ)の星」(中学生の頃にアウシュビッツの写真に魅せられたサディストを主人公にした超変態漫画)まで、氏の作品は数多く読んできた方だが、その中のどの作品もこの自伝本の面白さには遠く及ばないような気がした。 サブタイトルに<劇画内幕史>とあるが、業界内部の出来事だけに留まらず、作品が描かれたその時々の時代背景が詳細に記録されているため、日本の戦後史として読むことも可能である。例えば、昭和44年〜45年にかけての主な出来事については、マネージャーの日記からの抜き書きという形で記録されており、 昭和44年10月21日(国際反戦デー)の日記には、「学生と機動隊が衝突し、楳図(楳図かずお)のマンションのベランダから見物する。真下で火炎瓶を投げたり、殴り合いをしたり、なかなか迫力があった。」などと書かれていたりする。 
 氏と交流があった、さいとうたかを、辰巳ヨシヒロ、水木しげる、楳図かずお、つげ義春、松森正、うめもとさちを、白土三平など漫画界のビッグネームたちに関するエピソードもそれぞれ面白いが、やはり何といっても奇人ぶりではつげ義春がダントツである。
  氏はこの本の中で自らの没落ぶりについても赤裸々に語っている。戦災孤児から筆一本で貸本漫画界の寵児にのし上がり、全盛期には、家の中に滝がある豪邸を建てるほど稼いでいたにも拘らず、「ネアカ」ブームといわれた1980年代に入ると注文が激減、さらには劇画喫茶「劇画館」の経営にも失敗して無一文の身となってしまう。自らの波瀾に満ちた実人生を振り返りながら、氏は次のように書いている。

 「私にとっても、このころは家庭も仕事も絶頂のころである。だが、妻に去られ、生きる目的すら失った主人公の虚無感がヒシヒシと分かるのだ。私がこの虚無感を、実際問題としてより感じ取るには、数年後に新宿に建てたパブレストランを潰し、妻とも別れ、金をいっさい失って無一文になったときまで待たなければならない。 
 それをどうして、この時点で主人公を分身のように理解することが出来たのか。 
 ひょっとすると、私は不幸が好きなのかもしれない。不幸の持つなんとも云えないストイシズムが好きなのではないか。そして、知らず知らずに、劇画という形で描いた作中の人物の運命を自分の方に近づけていってるのではないか。ふと、そんなことを思うのである。」

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2009年03月13日

墓碑銘チェック

 友人から貸してもらった池田晶子(2007年没)の哲学エッ
セイ集「人間自身ー考えることに終わりなくー」(新潮社)を
読み終えた。死の直前まで「週刊新潮」に書き続けた哲学エッ
セイをまとめたものであるが、中でも「週刊新潮」連載の最終
回として書かれた「墓碑銘」と題するエッセイは飛び抜けて面
白かった。ここで彼女は、ローマに存在した「次はお前だ」と
いう墓碑銘の話に触れた後、「それなら私はどうしよう。一生
涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。
ならこんなのはどうだろう。『さて死んだのは誰なのか』。楽
しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれ
る人はいますかね。」と楽しそうに書いているのである。いく
ら「一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書き」
であったとはいえ、死を目前にしてなお失われぬその諧謔の精
神にまず畏敬の念を覚えた。そして彼女の墓にこの墓碑銘が現
実に刻まれたのかどうかはともかく、このエッセイを読んだ後、
俄に墓碑銘というものに興味が湧いてきてしまったのである。
取り合えず手許にある本や雑誌などを手がかりにすることで判
明した歴史上の人物の墓碑銘を以下に列挙しておこう。

 「友よ、願わくばここに埋められし遺骸をあばくことなかれ、
この石に触れざる者に幸いあれ、我が骨を動かすものに災いあれ」
 ウイリアム・シェイクスピア(1564〜1616)

 「そしてもはやここでは、憤怒に心臓を八つ裂きにされる事
もない。旅行者よ、自分の道を行け。そしてできるならば、男
らしく自由のために闘いぬいたこの人間を真似てくれ」
 ジョナサン・スウィフト(1667〜1745)

 「生き、書き、愛せり」スタンダール(1783〜1842)

 「世界の労働者よ、団結せよ。哲学者はさまざまな方法で世
界を解釈してきただけだ。大事なのは世界を変えることだ。」
 カール・マルクス(1818〜1883)

 「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」
     高山樗牛(1871〜1902)

 「戦争に反対し、世界平和のために生命を捧げた勇士ここに
眠る」リヒャルト・ゾルゲ(1895〜1944)

 「否(NON)」ルイ=フェルディナン・セリーヌ
        (1894〜1961)

 「もう頑張らなくてもいいよ」チャールズ・ブコウスキー
              (1920〜1961)

 「死ぬのはいつも他人ばかり」マルセル・デュシャン
               (1887〜1968)

 「人生の思い出の場所 ここに私はいる マレーネ」マレー
ネ・ディートリヒ(1901〜1992)

 
 なお、数々の性的なスキャンダルのために生涯の大半を牢獄
で過ごしたマルキ・ド・サド(1740〜1814)の墓にも
し墓碑銘が刻まれているとすれば、それはきっと悪徳と淫蕩の
哲学者にふさわしくスキャンダラスなものに違いないと密かに
期待して、澁澤龍彦著「サド侯爵の生涯」(中公文庫)に目を
通してみたら、そこで紹介されているサドの遺言の中の次のよ
うな文言が目に留まった。

 「墓穴の蓋を閉めたら、その上に樫の実を蒔き、以前のごと
く墓穴の場所が叢林に覆われ、余の墓の跡が地表から隠れるよ
うにしてほしい。余は人類の精神から余の記憶が消し去られる
ことを望む。」

 自分の墓が人目に触れることさえ望まなかったサドにとって、
墓碑銘を残すことなどは論外だったのかも知れない。但し、サ
ドの死後、遺言のこの条項は守られず、サドの遺骸はシャラン
トン精神病院(サドは晩年をここで過ごした)付属の墓地にカ
トリック教会の方式通りに埋葬され、墓の上には十字架が建て
られたそうであるが。
























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posted by 下等遊民 at 21:53| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月07日

壇ノ浦夜合戦記

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ここしばらく歴史ブームなるものが続いているらしく、出版不況と言われる中にあっても、歴史関連の書籍だけは順調に売り上げを伸ばしているそうである。その一方、TVでは「新説!?日本ミステリー」やら「日本史サスペンス劇場」といったバラエティ番組が、それこそプロの歴史研究者が聞いたら腰を抜かすほどのトンデモな異説、珍説(水戸黄門は松尾芭蕉の弟子だった、坂本龍馬はフリーメイソンだった、平清盛はペルシャ人だった、上杉謙信は女だった、etc)を毎週のように紹介している。ただ歴史資料を勝手に脚色して遊んじゃおうといった趣向は決して今に始まったものではなく、江戸時代にあっても盛んだったようで、その典型の一つが「壇ノ浦夜合戦記(だんのうらのよるかっせんき)」という好色本である。作者は江戸時代の儒学者・頼山陽だとされているが、信憑性は定かではない。内容は、壇ノ浦の合戦の際、入水するも救出された建礼門院と、源義経の情事を描いたもので、クライマックスはもちろん建礼門院と源義経との濡れ場である。
実は先日、以前古本屋で購入した城市郎氏(発禁本蒐集の大家)の「悪書のすすめ」(山王書房)という本の中にこの濡れ場のシーンが紹介されているのを発見したのであるが、残念ながら文章が難解でとても興奮するどころではなかった。参考までにその一部を孫引きしておこう。

 「延尉乳を引く。太后又其の手にぎる。延尉力輓す。太后転々として延尉の寝衣に入る。裸体にして唯だ腰辺一紅羅をまとふのみ。延尉巳に懐中に擁し堅く肌膚を接す。右手は布いて太后の肩と枕との間にあり、左手太后の背を撫す。其の肌膚玉の如し。」


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posted by 下等遊民 at 21:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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