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サブカル雑食手帳

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2009年03月13日

墓碑銘チェック

 友人から貸してもらった池田晶子(2007年没)の哲学エッ
セイ集「人間自身ー考えることに終わりなくー」(新潮社)を
読み終えた。死の直前まで「週刊新潮」に書き続けた哲学エッ
セイをまとめたものであるが、中でも「週刊新潮」連載の最終
回として書かれた「墓碑銘」と題するエッセイは飛び抜けて面
白かった。ここで彼女は、ローマに存在した「次はお前だ」と
いう墓碑銘の話に触れた後、「それなら私はどうしよう。一生
涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書きである。
ならこんなのはどうだろう。『さて死んだのは誰なのか』。楽
しいお墓ウォッチングで、不意打ちを喰らって考え込んでくれ
る人はいますかね。」と楽しそうに書いているのである。いく
ら「一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいた物書き」
であったとはいえ、死を目前にしてなお失われぬその諧謔の精
神にまず畏敬の念を覚えた。そして彼女の墓にこの墓碑銘が現
実に刻まれたのかどうかはともかく、このエッセイを読んだ後、
俄に墓碑銘というものに興味が湧いてきてしまったのである。
取り合えず手許にある本や雑誌などを手がかりにすることで判
明した歴史上の人物の墓碑銘を以下に列挙しておこう。

 「友よ、願わくばここに埋められし遺骸をあばくことなかれ、
この石に触れざる者に幸いあれ、我が骨を動かすものに災いあれ」
 ウイリアム・シェイクスピア(1564〜1616)

 「そしてもはやここでは、憤怒に心臓を八つ裂きにされる事
もない。旅行者よ、自分の道を行け。そしてできるならば、男
らしく自由のために闘いぬいたこの人間を真似てくれ」
 ジョナサン・スウィフト(1667〜1745)

 「生き、書き、愛せり」スタンダール(1783〜1842)

 「世界の労働者よ、団結せよ。哲学者はさまざまな方法で世
界を解釈してきただけだ。大事なのは世界を変えることだ。」
 カール・マルクス(1818〜1883)

 「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」
     高山樗牛(1871〜1902)

 「戦争に反対し、世界平和のために生命を捧げた勇士ここに
眠る」リヒャルト・ゾルゲ(1895〜1944)

 「否(NON)」ルイ=フェルディナン・セリーヌ
        (1894〜1961)

 「もう頑張らなくてもいいよ」チャールズ・ブコウスキー
              (1920〜1961)

 「死ぬのはいつも他人ばかり」マルセル・デュシャン
               (1887〜1968)

 「人生の思い出の場所 ここに私はいる マレーネ」マレー
ネ・ディートリヒ(1901〜1992)

 
 なお、数々の性的なスキャンダルのために生涯の大半を牢獄
で過ごしたマルキ・ド・サド(1740〜1814)の墓にも
し墓碑銘が刻まれているとすれば、それはきっと悪徳と淫蕩の
哲学者にふさわしくスキャンダラスなものに違いないと密かに
期待して、澁澤龍彦著「サド侯爵の生涯」(中公文庫)に目を
通してみたら、そこで紹介されているサドの遺言の中の次のよ
うな文言が目に留まった。

 「墓穴の蓋を閉めたら、その上に樫の実を蒔き、以前のごと
く墓穴の場所が叢林に覆われ、余の墓の跡が地表から隠れるよ
うにしてほしい。余は人類の精神から余の記憶が消し去られる
ことを望む。」

 自分の墓が人目に触れることさえ望まなかったサドにとって、
墓碑銘を残すことなどは論外だったのかも知れない。但し、サ
ドの死後、遺言のこの条項は守られず、サドの遺骸はシャラン
トン精神病院(サドは晩年をここで過ごした)付属の墓地にカ
トリック教会の方式通りに埋葬され、墓の上には十字架が建て
られたそうであるが。
























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posted by 下等遊民 at 21:53| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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