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サブカル雑食手帳

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2009年04月30日

新宿ダダ

 前回のエントリーでは、竹熊健太郎著「篦棒(ベラボー)な
人々ー戦後サブカルチャー偉人伝」(河出文庫)の中から、偉
大なる三人のハプナーに登場してもらったが、この中で爆発男
(岡本太郎氏)と全裸男(ダダカン氏こと糸井貫ニ氏)の二人
を結ぶキーワードはダダイズムである。周知のように、ダダと
いうのは、第一次大戦中に世界中を席巻したハチャメチャな芸
術運動(そもそもこの「ダダ」という言葉からして全く意味不
明)で、とにかく今までの既成概念を片っ端からぶっ壊そうと
いうのがその基本的スタンス。ダダの発展形態がシュールレア
リズムであるが、かつて爆発男=岡本太郎氏がシュールレアリ
ストを自認し、この運動に加わっていたことはあまりにも有名
な話である。また全裸男=糸井貫ニ氏に至っては既にダダカン
という通称にダダイズムの強い影響を見ることが出来よう。
 ところで、今、ダダ、ダダと書いているうちに、ふと70年
代後半に、やさぐれシンガー山川ユキが歌って大ヒット(?)
した「新宿ダダ」という素晴らしい名曲があったことを思い出
した。歌詞はよく覚えていないが、♪ダダッ!! ダダッ!! ダダ!
ダダ! ダダァ! という意味不明ながら衝撃的な出だしのフレー
ズだけは今でも鮮明に記憶に残っている。日本の魔都新宿と20
世紀初頭のヨーロッパで台頭したダダイズムとを重ねることで
「新宿ダダ」というタイトルになったのであろうか。ともあれ、
この曲を今、改めてじっくり聴いてみたいものである。
 なお、ダダイズムとその拠点キャバレー・ヴォルテールにつ
いては、筒井康隆著「乱調文学大辞典」(講談社)の中の「レー
ニン」のところでも次のような形で引き合いに出されている。
まあこれを読んだだけでもダダイズム台頭期の頃のキャバレー・
ヴォルテールの喧噪と熱気(ちょっと新宿ロフトプラスワンを
思わせる)は充分伝わってこようというものである。(以下、
筒井康隆著「乱調文学大辞典」より引用)

 「彼(レーニン)はチューリッヒのシュピーゲル街六番地に
住んでいた。そのちょうど向い側の一番地にはキャバレー・ヴォ
ルテールがあって、ここはダダイズムの根拠地、毎夜のように
ツァラ、アルプ、カンディンスキー、ヴェデキント、ドビュッ
シー、アポリネール、モジリアニ、ブルトン、スーポー、ピカ
ソ、アラゴン、ピカビア、エリュアール、ベレ、ヤンコーといっ
た気ちがい連中が集り、騒いだり殴り合いを演じたりしていた。
そんなにうるさくて、よくまあ革命論や唯物論が書けたもので
ある。」




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posted by 下等遊民 at 02:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

公然ワイセツは革命的(?)

 目下、マスコミは「SMAP」の草なぎ剛が公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された件で大騒ぎしているようだが、あらゆる犯罪の中でもこの「公然わいせつ」という罪ほど不可思議な代物はないのではなかろうか。まず犯罪というからには通常被害者の存在が特定されなければならないと思うのだが、それでは「公然わいせつ」の被害者とは一体誰なのであろうか。全裸の男あるいは女が公園内や路上を歩いていたとして、誰が被害を受けるのか(わかる人がいたら教えて下さい)。確かに全裸の男あるいは女など見たくもないという人間にある種の不快感を与えるということはあり得るかも知れない。しかし我々が何に不快感を感じるかはあくまでも千差万別であり、また我々に不快感を与えるものすべてが取り締まりの対象になるわけではないだろう。例えばフリチンのおっさんが道を歩いていて、その横を大音響で軍歌をかき鳴らしながら右翼の街宣車が走っていったとしよう。私の場合、どちらの側に多大の不快感を覚えるかといえば、明らかに後者の方(もちろんフリチンのおっさんを見るのも決して気持ちのいいものではないが)であるが、もしそこに警察官がいれば捕まえるのはフリチンのおっさんの方であるに違いないのである。まあこんなことばかり言っていると何か「公然わいせつ」を擁護しているかのような印象を与えてしまうかも知れないが(実は擁護しているのだが)、かつて「公然わいせつ」というものが革命的な様相を呈していた時代がこの日本にあったことを知ってもらう意味で、今回は竹熊健太郎著「篦棒(ベラボー)な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝」(河出文庫)の中から「目玉と爆発と全裸と」という文章を以下、紹介しておくことにしたい。

 「とりあえず時計の針を巻き戻してみよう。ときは一九七〇年四月ニ七日。場所は大阪・千里丘陵。春たけなわのできごとであった。 
 その日『日本万国博覧会』会場では、三つの『ハプニング』が同時進行的に発生していた。震源地は太陽の塔・・・・・かの有名な万博のシンボル・タワーである。 
 最初のハプニングはニ六日夕方に起こった。赤軍派を名乗る赤ヘルに青い覆面姿の若い男が、警備員の制止を振り切って太陽の塔最上部、地上七十メートルに位置する『金色の顔』右目に侵入し、『万博粉砕』と叫んで籠城をはじめたのだ。大阪府警は色めきたち、百数十名の機動隊を投入して説得工作を開始した。だが男は『近づいたら飛び降りる』と頑強に抵抗、それから五月三日までの間、えんえん一週間もたてこもった。これが世に名高い『万博目玉男事件』である。 
 もうひとつのハプニングはニ七日の午前一〇時半に発生した。『目玉男』の噂を聞きつけた、太陽の塔制作者で『芸術は爆発だ!』の岡本太郎が、太陽の塔前にあるお祭り広場に姿を現したのである。新聞記者がワッと岡本を取り囲み、『先生、今のお気持ちを!』と質問が浴びせられた。このとき岡本は終始上機嫌で、双眼鏡で『目玉男』を覗きながら、 
 『イカス!』
 を連発したという。 
 第三のハプニングが起こったのは、『爆発男』岡本が会場を去ったちょうど一時間後のことだった。ときに午前十一時四五分。機動隊・報道陣そして五万の野次馬が見守る中、現場に突然全裸の男が乱入し、太陽の塔めがけて走りはじめたのだ。 
 太陽の塔はそのとき、男の目には巨大なチンポに見えたのかもしれない。股間の逸物をブラブラさせ、全力疾走で巨大ペニスに挑むドン・キホーテ・・・・・。警察は蒼ざめ、五万の野次馬のうちある者は目を伏せ、ある者はヤンヤの喝采を送ったという。男は約十五メートル走ったところで機動隊に取り押えられ、逮捕された。この全裸男こそ、前衛会にこの人ありと知られた伝説のハプナー『ダダカン』その人である。
 目玉男・爆発男・全裸男。三者が一堂に会したこの日は、戦後史において記念すべき日だと筆者には思えるのだが、現代史の本にこの事実は載っていない。目玉男・爆発男までは扱っていても、全裸男となると公的な記録は皆無である。(後略)」

 なお海外における最近の例では↓のような記事もある。

 「バルセロナで動物愛護団体が裸で『毛皮反対』の抗議活動」
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2343017/2567394

 というわけで、まあ1970年代に平岡正明氏が発した「あらゆる犯罪は革命的である」なんてテーゼには同意できないにしても、少なくとも「公然わいせつ」だけは時と場合によって革命的たり得ることをひとまず銘記しておきたい。

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2009年04月20日

「日本文学者変態論」を読む

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田中ーそんなことはねえよ! 大喜びだったんだよ! 谷崎は一躍反自然主義派の旗手となる。谷崎の作品はデビュー当時からセンセーショナルなものが多かった。『悪魔』という作品では、恋人の鼻汁のついたハンカチをペロペロ舐めるというシーンが描写されていて、これが汚いということで、耽美主義派からかなりの攻撃をされたんだ。

太田ーああ、それで谷崎って“元祖・ハンカチ王子”って言われてるんだ。(爆笑問題著「日本文学者変態論」より) 


昨日、書店で何気なくタレント本コーナーを見やると「日本文学者変態論」などという、およそタレント本らしからぬ重厚(?)なタイトルのハードカバー本が目に飛び込んできた。どうやら「爆笑問題の日本史原論」シリーズの最新刊として出たものらしいのだが、立ち読みしているうちについつい面白さに引き込まれてしまい、最終的には買うことになってしまった。読了してしまうにはもう少し時間を要するが、文学史的事実をしっかりと踏まえた上での田中のツッコミ(実際には「文・構成 太田光」なのであるが)に対し、太田がかますボケがこれまたいちいち絶妙でとにかく読んでいて飽きさせない本である。志賀直哉が太宰治の「斜陽」を批判したことに太宰が激怒したという話を田中がした時、太田がすかさず「当時、志賀直哉のブログを太宰一人で炎上させたって話だからな。」とボケをかますが、このボケには当時の太宰の志賀に対する激昂ぶりがよく表現されていて思わず噴き出してしまった。ただ「日本文学者変態論」というタイトルはいささか大袈裟であり、どちらかというと「日本文学者変人論」のほうがこの本の内容に相応しい感じもするが、まあ「変人論」ではタイトルとしてのインパクトが弱すぎるかも知れない。ちなみにこの本で俎上に載せられた文学者は、夏目漱石、泉鏡花、与謝野晶子、二葉亭四迷、志賀直哉、司馬遼太郎、谷崎潤一郎、江戸川乱歩、安部公房、太宰治、遠藤周作、宮沢賢治、芥川龍之介、梶井基次郎、松本清張、樋口一葉、川端康成、国木田独歩、山本周五郎、森鴎外、島崎藤村、柳田國男、坂口安吾、三島由紀夫の24人。




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2009年04月14日

寺山修司氏のデブ礼讃論

 先月、市の図書館で借りた寺山修司氏のエッセイ集「不良少女入門ーぼくの愛した少女」(大和書房)の中に、癌で入院中の大山デブコ(かつて演劇実験室「天井桟敷」の「大山デブコの犯罪」に出演した怪女優)にあてた手紙という体裁の一文が収録されていたのだが、そこで展開された寺山修司氏のデブ礼讃論があまりにも秀逸だったので、この頁だけは返却する前にコピーしておくことにした。まずはその中の一部を↓に引いておこう。  

 「僕は、思想的立場からすれば『デブ』が好きです。今日のように、痩せ細った肉体の持主たちの支配する知的文明というものが、人間をしだいに主知的にし、理性的にして、肉体の素晴らしさから遠ざけてゆくものだと思っているのです。
 僕はペローの『デブの悩み』という小説などはまったく下らないものだと思いますし、和田研究所の『やせましょう』指導方式なども、肉体の画一化をめざす運動にすぎないと思っています。
 『デブ』には、理性で超克できない何かがある。それは言わば、植木等の唄にみられる、  

 わかっちゃいるけど
 やめられない

 ような気分です。本能の支配できる領域がまだ残っていることを知る上でも、またホーマーの時代のユリシーズ的肉体文明の復権を唱える上でも、『デブ』こそは、もっと評価されなければいけないものだと、僕は思うのです。」(「大山デブコへ」より)  

 知的文明? 肉体の画一化? ユリシーズ的肉体文明の復権? どうやら寺山修司氏にとって「デブ」というのは単なる趣味の領域だけに留まらず、すぐれて思想的なテーマでもあったようである。 



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2009年04月11日

アブナイ(?)小冊子

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 たまに上京した際、必ず立ち寄ることにしているのが新宿のミニコミ書店・模索舎であることはだいぶ前にも書いたことがあるが、私がこの店に入ってまずチェックするのは書棚にぎっしりと並べられた思想書でも平台に並べられた党派の機関誌(紙)類でもなく、店の奥の目立たない場所に並べられた得体の知れない小冊子類である。実は先日、本棚を整理していると以前模索舎で購入した覚えのあるそんな小冊子の中の一冊(表紙に「不満分子」と書かれたもの)が発見された。奥付けを見ると発行人名が北のりゆきとなっていたので、試しにヤフーで検索してみると、どうやら「遊撃インターネット」というサイトを1996年より現在まで足掛け13年にわたって運営している人であることがわかった。で、この「遊撃インターネット」であるが、様々な危険文書(?)の類いなども紹介していて、これがなかなか面白いサイトなのである。興味ある向きは↓を御覧あれ! 
http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/top.htm



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2009年04月05日

為五郎氏の「のぞき人生」語録

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「覗きが何でいいかっていうと、抱いてる男に見えないものが見えるからね。さっきいった女の子のニタッて笑ってる顔、当人には絶対見えないんだから。第三者だから見ることができる。よく千人切りとかいうでしょ。女を知り尽くしたとか。嘘だよ。口ではいいわ、っていいながらアクビしてるかも知れないじゃないか。」(桑迫昭夫・朝倉喬司著「盗視者ー為五郎のぞき人生」より)

 前々回のエントリーで取り上げたNHK教育の「『ETV特集』犬の記憶〜森山大道写真への旅」という番組の終わりのほうで、ノンフィクション作家の朝倉喬司氏が、かつて覗きの巨匠ともいうべきタメゴロウこと桑迫昭夫氏の話を聞き書きするために彼に同行した時のことを語っているのを見て、ふと「盗視者ー為五郎のぞき人生」(幻冬舎アウトロー文庫)という本をだいぶ前に購入してあったことを思い出した。この本は桑迫昭夫氏と朝倉喬司氏が連れ立って都内近郊の公園を歩きながら、朝倉喬司氏がもっぱら聞き役としてタメゴロウ(桑迫昭夫氏)から「覗き」にまつわる彼ならではの卓見を次々と引き出していくことで、まあ言ってみればタメゴロウ語録のような趣きを呈している。今回久しぶりにこの本の頁を繰ってみたのだが、「覗き師」でなければ見えない人間や社会の実相が忌憚なく語られていて実に面白い本である。百聞は一見に如かず、タメゴロウ語録の中のいくつかを↓に紹介しておこう。

「ものをいうのは経験。俺がパッと目付けていくとするでしょう。必ずほかのやつも目付けてるからね、『タメさんも?』『お前もか』って、それがないとダメだね、この道も。俺が覗きのトウシロウにいつもいってんのは、見ちゃぁいけないってこと。見られてることを相手に意識させちゃったらだめで、さり気なく注意を集中させる、これが大事」

「よくテレビなんかで、外でセックスするなんて、なんてはしたないとかいうやついるだろ。良識派ぶって。テメェ死ねっていいたくなるね、人類の祖先が海から陸に上がって以来、お前らの生命を脈々と持続させてきたのは青カン以外に何がある。そんな昔にさかのぼらなくても、ついこないだまで、青カンは日本の男女の常態だったんだ。“誰かちゃんと誰かちゃんが麦畑”って歌があるようにね」

「私は泥棒ですよろしくって名のるやつとね、なかなかお近づきになれないよ。そういう意味じゃ覗きは面白い。そういうので深みにはまっていくね、どんどん。百鬼夜行ていうか、昼間のね、生きてんだか死んでんだかわからないような野郎、つまんない世界の人間なんか馬鹿に見えてしょうがなくなってくる。俺は覗きは病気だっていうけど、病気だから苦しいだけかっていうとそうじゃない。そんなんだったら誰もやりゃしない。面白いからやめられないのが地獄の病たるゆえんなんだ」

 「三島由紀夫に『豊穣の海』っていう大作がありますね。あの“海”は結局、月の海のことなんだよね。月の表面の無機質な、何もない世界。三島って人は、海が大好きで、小説家として名が出てきたころに、しょっちゅう、海上保安庁か何かの船に乗っけてもらったりしていて『何で自分はこんなに船が好きなんだろう』なんて書いたりしてる。それが、結局行きつくところは月の海、死の海に行ってしまったわけですけど、私に興味深いのは、彼にも強い覗き志向があったってことですね。『午後の曳航』とか、『禁色』とか、『豊穣の海』にも、覗きのモチーフが、随所に出てきますものね。彼を例にとっても覗きと死の見えないつながりを感じざるをえない」

「フロイトのいう反復強迫。俺の覗きがまさにそれ。子どもの頃の苦痛体験の反復なんだけど、じゃあそれが苦しいだけかっていうと、いやこれが面白い。スリルとサスペンス」

「下着ドロ、パンティ泥棒ってよくニュースになったりするだろ。あれなんかでも、母親なんだな、結局。小さい子どもってのは、何かあると母親のお尻の後ろに隠れるじゃないか。それができなかった、拒絶されたやつが代用品として、女の下着に固着する。パンティは求めて得られなかった母親」

「親分になっちゃまずいね。俺、前に本書いたでしょ。そしたら仲間が、タメさんは違う世界へ行ったって。ちがうんだよ。俺は覗きとして本を書いたんだよ。マスコミのお友達じゃない、覗きの友達であり、死ぬまで覗きなんだから。いっておくけど。親分になっちゃまずいんだよ、いつまでもこう見捨てられて虐げられている側にいる人間でないとね。初心を忘れちゃいけないね」


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2009年04月01日

「嘘」で固めたエントリー

 今日はエイプリルフールということなので、「何か面白い嘘
話の一つでも・・・・・」と思ってはみたものの悲しい哉、根
が正直(爆!)なためか、それとも創作力が欠如しているため
か、どうしても嘘話というやつができないのである。そこで今
回は取り合えず古今東西の「嘘」にまつわる名言を集めてみる
ことにしました。

「嘘をずっと押しとおそうと思う人は、記憶がよくなければな
らない。」(グリム)

「ある人が嘘を吐くということを考えてみれば、それは、その
者が神に対しては大胆であり、人間に対しては卑怯である、と
いうことにほかならない。」 (フランシス・べーコン)

「いかなる虚偽も、そのためにさらに別の虚偽を捏造すること
なくしては主張できない。」 (レッシング)

「いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い虚言だ。」(ア
ンドレ・ジイド)

「どんな馬鹿でも真実を語ることはできるが、うまく嘘をつく
ことは、かなり頭の働く人間でなければできない。」(バトラー)

「ひとたび嘘をつくと、いい記憶が必要になる。」 (コルネ
イニ)

「まことはうその皮、うそはまことの骨、うそとまことの仲の
町、迷ふもよし原、悟るもよし原。(武林無想庵 )

「わたしは不幸にも知つてゐる。時には嘘によるほかは語られ
ぬ真実もあることを。」 (芥川龍之介)

「一つの嘘をつく者は、自分がどんな重荷を背負い込むのか
めったに気がつかない。つまり、一つの嘘をとおすために別の
嘘を二十発明せねばならない。」 (スウィフト)

「一つの嘘を本当らしくするためには、いつも七つだげ嘘を必
要とする。」 (ルター )

「嘘つきがいつでも必ず嘘をつくとしたら、それはすばらしい
ことである。」 (アラン )

「嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのこと
ではなく、ほかの誰をも信じられなくなる、ということである。」 (バーナード・ショー)

「嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だ。」 (ジェローム)

「嘘つきの目標は単に喜ばすことであり、悦びを与えることで
ある。」 (ワイルド)

「感動は心に止まって消えようとせず、しかもその実在を信ず
る為には、書くという一種の労働がどうしても必要に思われて
ならない。書けない感動などと言うものは、皆嘘である。」
(小林秀雄)

「嘘とは、私がつくったものではなく、階級に分かれた社会に
生まれたものである。だから私は生まれながら嘘を相続してい
る。」 (サルトル)

「女にとっての嘘は、身に備わった武器。 だから、男の嘘な
んてすぐ分かってしまう。」 (吉行淳之介)






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posted by 下等遊民 at 22:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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