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サブカル雑食手帳

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2008年06月25日

「ポケット・フェティッシュ」再読

  愛読ブログである「わくわくおじさん日記」のエントリー
「エクソシスト、そしてリンダ・ブレア」

 http://blog.livedoor.jp/wakuwaku1776/archives/51223055.html

 を読んで、映画「エクソシスト」で名を馳せたアメリカのB
級女優リンダ・ブレアが新入りの女囚役として登場する「チェ
ーンヒート」(83年)という素晴らしい女囚物映画のことを
思い出した。と同時にこの映画について作家の松浦理英子さん
が「ポケット・フェティッシュ」というエッセイ集に収められ
た「女囚映画の愉しみ」というエッセイの中でさかんに持ち上
げていたことを思い出したので、この洒落たタイトルのエッセ
イ集(白水Uブックス版後書には「表題は<ポケット・ティッ
シュ>と<フェティッシュ>をかけたもので、<ささやかなも
のごとへの愛着>くらいの意味に受け取っていただければと思
う。」と著者自身が記している。)を久しぶりに再読してみる
ことにした。
 松浦理英子さんは「女囚映画の愉しみ」の中で、「チェーン・
ヒート」でのリンダ・ブレアについて「うぶな新入りで初めの
うちは泣いてばかりいるが、クライマックスでは怒りに燃える
暴動の扇動者に成長する。惚れ惚れする女ぶりである。」と賞
賛、このエッセイの最後を次のように締めくくる。
 
 「『チェーンヒート』のような上出来の女囚物に痺れた後で
は、一般のいわゆる女性映画は貧しくて夢がなくて観ていられ
なくなる。娑婆の女には絶望も愛も足りなくて暴動一つ起こせ
ないではないか。
 この世界をオープン・プリズン、人生を終身刑の日々と感じ
ている私は、今夜も女囚物の映画を観てひそかに暴動を夢見る
のである。」

 最近、小林多喜二の「蟹工船」が大ブームだそうであるが、
このテの女囚映画もかつてのプロレタリア文学がそうであっ
たように「ひそかに暴動を夢見る」ためのツールとして楽し
むことが可能だというわけである。


 さてこのエッセイ集の中には、著者が自らのA(肛門)感覚
へのこだわりを吐露した「Aの至福」と題されたエッセイも収
録されていて、これがまた実に奇想天外で文句なしに面白いの
である。(以下引用)

「A感覚を捨て去りP(ペニス)感覚に固執するところから
男性の堕落が始まる、との足穂説にも男根中心主義性愛批判と
して大いに共感を覚えるのだけれども、この身が鈍重なせいか、
あるいは単純に私が稲垣足穂ではないせいか、A感覚に分け入
ることによって宇宙に飛翔するなどという芸当までは、できな
いしやりたいと望みもしない。
 私は折に触れてA感覚を甘くくすぐられながら地べたをのた
うちまわっていたい方で、Aにも上昇よりは下降に向かうベク
トルを感じ取りたいのである。まあ上昇しようが下降しようが
行き着く先は同じ、とも考えられるのだが、口から摂取され胃
腸を経由してAより落ちて行く物のことを思うと、やはりAは
下降感をもたらすものだと言ってみたくなる。
 さらに、Aより落ちて行く半固形状の物、あの軟らかく温か
く変形自在の物は、これもまた原初的な恍惚を呼び起こし、忘
れ去りがたい。のたうちまわる地べたがあの物を湛えた湿地で
あったら、少なくともファンタジーの中では至福である。蠕動
する直腸。波打ちつつ優しくまとわりつく黄金色の泥。何十億
年も前のわれわれ、不定形の生命体に戻れそうな気がするでは
ないか。(中略)
 即ち、Aの本来のパートナーは例の物、大便である。Pの如
きは大便の代用品でしかない。究極のアナル・セックスは、相
方のAより排出される大便をおのがAに挿入するものである。
食生活に気を配って便の硬度を調整する必要はあるが、これな
らば二人とも快感を味わうことが可能であろう。挿入された大
便を、自分自身の大便の排出と同時に相方のAに挿入し返すの
も愉快かも知れない。
 この究極のアナル・セックスは、マルキ・ド・サドによる肛
門性愛並びにスカトロジー百科『ソドムの百二十日』にも載っ
ていない。」(引用ここまで)

 「この究極のアナル・セックスは、マルキ・ド・サドによる
肛門性愛並びにスカトロジー百科『ソドムの百二十日』にも載
っていない」ことは、この作品を何度となく読み返してきた者
として疑いを容れないが、ただこれに違和感が全くないわけで
はない。まず肛門という器官には味覚が備わっていないため、
せっかく相方の大便(黄金)を挿入されてもその風味や香気を
充分に味わいつくすことには無理がある。ならばやはり相方の
大便(黄金)を口で受けるという古典的スタイルの方がはるか
に理に適っているように思うのであるが、松浦理英子さんに、
「このエッセイは別にお前ごときを喜ばせるために書いたわけ
ではないんだよ」と言われてしまえばそれまでの話である。


 

 

 





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posted by 下等遊民 at 20:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
下等遊民さま
拙ブログの紹介まで頂き、感謝いたします。
さて、この「A感覚」に関する文章ですが、確かこれと同じプレイの描写をSM小説だかエロマンガかでみた記憶があります。確かにサドの想像力の範疇には無かったのかも知れませんが、この文章は女性が書いているという点を考慮すると、男性におけるA感覚と女性におけるA感覚は異なるのでは?と思ってしまいます(男性にはVがありませんので)。フロイトかキンゼイ・リポートかハイト・リポートあたりにヒントがありそうですが、女性のA感覚はV感覚に近いのでは?、と思ったりもします。
Posted by wakuwaku1776 at 2008年06月26日 11:20
 >wakuwaku1776様

 >男性におけるA感覚と女性におけるA感覚

 これは実に実に興味深いテーマですな。A感覚に限らず、あらゆる性的快感には生理的なものと観念的なものが複雑に絡まりあっている(生理的なものだけだったら相手が誰であろうと同じ快感が得られなければおかしい)ため、個人差、時代差、地域差といった点からも見ていく必要があるのかも知れません。例えばマルキ・ド・サドのサディズムと団鬼六のサディズムの違いや、ザッヘル・マゾッホのマゾヒズムと谷崎のマゾヒズムの違いというのも興味深いテーマではないかと思われます。それとフェティシズムに関してですが、よく女性下着盗や女性靴盗が逮捕されるといった事件を見聞きする度に不思議に思うのは、このテの犯罪を犯すのが絶対に男だけに限られるという点ですね。もしかするとこうした特殊な性癖の中にこそ、性心理の男女差というテーマを読み解く鍵が潜んでいるような気がしてなりません。

 
Posted by 下等遊民 at 2008年06月26日 23:13
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