「もう、終戦後という字句を使う時世ではなくなった。が、その時実と、社会の変貌は厳として大きな足跡を残している。殊に、言論の自由という点では、我々に明るい面を開かしめている。その意味で、ここにあつめた私の作品は、謂うところの終戦後の物であり、混乱期の産物でもある。が、言論の解放によって私をして、自由活達に筆を執らしてくれた、一れんの愛慾小説である。外面の時世的な感覚は別として、内容に盛られた人間の動物的な性慾感は、現在の人々に味読してもらえるかと思っている。」(北川千代三著「H大佐夫人」はしがきより)
♪赤いリンゴに口びるよせて だまってみている青い空〜、と並木路子の「りんごの歌」が流れる中、闇市は買い出しの人々の群れで賑わい、そこかしこに復員兵やGIやパンパンたちの姿が・・・・・、映画やTVで毎度お馴染みの猥雑かつ活気に満ちた戦後風景(昨年暮れに放映されたテレビ朝日のスペシャルドラマ「肉体の門」でもこの風景が再現された)だが、露店の前に並べられた夥しい種類のカストリ雑誌群もやはりこの時代の風物詩として特筆すべき存在だったようだ。 さてこうしたカストリ雑誌の中では、まず「猟奇」誌の第2号が1947年にわいせつ文書として戦後初の摘発を受けることになるが、その原因となったのが北川千代三の「H大佐夫人」というエロ小説である。実は最近、この「H大佐夫人」の単行本(1956年・美和書院刊)を入手し、一通り読んで見たのだが、内容は戦時中の話で、軍人の妻が、夫が出征している隙に、自宅に寄生している少年の「私」に対して性の手ほどきをするという、いわば典型的な「筆下ろし小説」なのである。この中で、主人公の「私」が夫人から性の手ほどきを受ける前に、大佐が風呂場で夫人にクニリングスするのを覗き見する場面があるのでそこのところをちょっと紹介してみよう。
「見てはならない物のような女性の身体の一部、そして女性にとっては人に露わに見せるべからざる局所が、今やまともに、私の視線にぶっつかろうとしているのです。私は軽いおののきに似たものを感じ乍ら、一段と息を殺して夫人の体を見守りました。 しかし、その悩ましい期待は瞬間にして消されたのです。そして更に強烈な刺戟を受けたのでした。何故なれば、当然浴槽から洗い場へ出るであろうと思った夫人は、一つのポーズを見せて、浴槽の中に立ったまま動かないのです。そして大理石のように艶々とした夫人の中央部には、半禿の大佐の頭が、人魚の肌に吸いついた海月のように固着して動かなかったからです。」
まあこんな感じで、性描写自体は最近の官能小説に較べれば奥ゆかしいくらいで、別にどうと言うこともないのであるが、面白いのは戦後露わになった一般庶民の軍人に対する嫌悪感が、「私」の口を借りて次のように表現されているところである。
「まず最初に、Hという大佐をちょっと申し上げて置きましょう。凡そ嫌な人間といってこのH大佐くらい、人好きのしない嫌な人間は、そうザラにあるとは思えません。おそらく、私の生涯を通じて今後H大佐ほど厭な人間に出会わないだろうと思います。陽灼けのした赫ら顔は軍人だから止むを得ないとしても顔全体の何所にも一点として取得がないのです。前額の狭い割合いに、頬とか額の辺りがいやに平べったく、而も一等醜いのは、右の頬から耳のつけ根へかけて大きな引っつりになった禿のあることです。それは彼が尉官級時代に火薬装填の過失が因で大火傷をした痕だということを、後日美根子夫人から聞かされました。私が虫が好かないというのは、大佐の顔や容姿だけでなく、彼の態度にも多分にそうした物があったのです。それは今説明せずとも、私の話の順序が自然に表明すると思います。」
また夫人のキャラも、戦時中にステロタイプ化した「銃後を守る貞淑な妻」といった軍人の妻のイメージとは大きくかけ離れていて、それは例えば次のような描写に露骨に表現されている。
「私は、ラジオのスイッチを入れました。放送は頻りに敵機の行動を報じていました。それを聞いていると、私達の描いている此場の情景とは余りにも不釣合いのように響くのでした。 『大丈夫よ、喬雄さん、消しときましょうよ』 私は夫人の大胆さと、戦争に対する無関心ぶりに驚くのでした。そしてこれが陸軍大佐夫人かと思うと不可解な気がするのでした。」
ということで、この戦後初の発禁小説は一種の「筆下ろし小説」でもあったわけだが、「熟練した人妻による少年の筆おろし」というテーマ自体は、この小説が発表されてから60年以上経た現在でも根強い人気を保っており、二見書房のマドンナメイト文庫や「熟女ものAV」にはこのテーマを受け継いだ作品が少なくないようである。
なお、「筆下ろし小説」というネーミングは「わくわくおじさん日記」のエントリーの中の「筆下ろし映画」という言葉からヒントを得たものでした。
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いつも勉強になっています、ありがとうございます。
それにしても、大人の女性による「筆下ろし」は、男にとっての性的な妄想の大きなテーマには違いありません。男性の多くはマザコン的な傾向を持っていますし、母親→大人の女→筆下ろし(かなり強引ですが)という感じでありましょうか。それで思い出したんですが、「風と共に去りぬ」でレット・バトラーを演じたクラーク・ゲイブルは一度目は17歳年上、二度目は15歳年上の女性と結婚しています。(母親が彼が生後6ヶ月の時に亡くなったのが影響しているようですが)
筆おろし小説を書き下ろしなんぞは乙でげすな。
破瓜小説なんてジャンルもあるのかな。
ヨーロッパにもありそうですねえ。十字軍時代の設定とか。
>軍人に対する嫌悪感とか、その妻のキャラクターとかに作者の「何か」が透けて見える
確かに。一見、戦時中の軍国主義的価値観への嫌悪という「時代の気分」を単に共有しているだけのように見えながら、その奥にフロイト的なエディプス・コンプレックス(父憎悪&母思慕)の影がちらついているようにも感じられますな。
>大人の女性による「筆下ろし」は、男にとっての性的な妄想の大きなテーマ
やはりこうした妄想というのは、↑に書いたフロイト的なエディプス・コンプレックスとどこかで繋がっているのでしょうかね。御教示下さったクラーク・ゲイブルのケースはまさにそれの例証であるかのようにも思われます。最近はAVでも官能小説でも「熟女による筆下ろしもの」だけが大盛況のようですが、これはある意味では諸々の余計な社会的通念が削ぎ落とされて、男が本質的(?)な性的妄想に忠実になってきたことの表れなんでしょうかね。
>筆おろし小説を書き下ろし
何か落語のオチに使えそうですよね〜。それにしてもこの言葉がいつ頃から、本来の意味から逸脱して使われるようになったのか、興味あるところです。江戸文学あたりでも使われてたんでしょうかね。
>破瓜小説
破瓜って女子の16歳を意味するようですが、これを額面通り受け取ると「淫行」ですよね〜。かつて統合失調症を精神分裂症と呼んでいた頃、思春期に発症するタイプのものを破瓜型分裂症といったようですが、医学用語になぜあえてこういう特異な言葉を使うのかと訝しく感じたことを思い出しました。破瓜小説とは違いますが、上野千鶴子女史はかつて自著である「セクシィギャルの大研究」のことを処女喪失作と呼んでましたっけ。