「こじき大百科」(データハウス)は、2人のフリー・ライターが路上生活者とともに暮らしながら、様々な路上生活者のライフスタイルを観察・分類した本であるが、「こじき」という差別用語がもとで絶版になった。内容的にも確かに問題の多い本だが、それは別としてこの表紙絵にはどこか捨てがたい味わいがある。そこに描かれたオッサンの風貌に懐かしい既視感のようなものを感じるからかも知れない。
友成純一著「人間・廃業・宣言」(洋泉社)はバートン、クローネンバーグ、カーペンター、ライミなど、スプラッタ映画の巨匠たちの作品を取り上げたホラー映画評論集であるが、この表紙絵は、友成氏の映画評論の基調をなす人間中心主義への憎悪をどこかユーモラスな形で表しているようで、帯に書かれた「人間やめても、映画があるだろ」という秀逸なキャッチコピーとともに私を惹きつけてやまない。
と学会著「愛のトンデモ本」(扶桑社)は男女の愛から親子愛、宗教的愛、エロアニメ、さらには老人性愛、寄生虫への愛まで、「愛」をテーマにした様々なトンデモ本をおちょくった本であるが、女性の股間の部分に「と学会」マークをあしらった表紙絵にも限りなくパロディっぽい味わいがある。
マルキ・ド・サド著「新ジュスティーヌ」(河出文庫)は、「悪徳の栄え」とともにあまりにも有名なサドの代表作。サド作品の表紙絵では河出文庫のものが最も淫糜さをたたえていて秀逸だと思う。




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ポルノグラフィは表紙(というかカバー)がとても重要だと思いますが、そういった点では「富士見ロマン文庫」の初期の作品は理想的であったように思います。
>この上野千鶴子氏の「女遊び」の表紙は凄いですね〜。
実はこの本、表紙だけでなく本文の随所にも同じ作者(ジュディ・シカゴ)が描いた同タイプの絵が多数挿入されていて、まさに巻頭エッセイのタイトル「○○がいっぱい」通りの様相を呈しているわけですが、これについてはフェミニズム陣営からも、「あまりに商業主義的に過ぎる」といった批判もあったようです。しかしポルノグラフィではなくフェミニズム系の思想書として出された本にこうした絵を多数掲載したところでそれがそのまま売り上げアップに繋がるとも思われないので、この批判は些か的外れのような気もします。巻頭エッセイについては、斎藤美奈子氏が「文壇アイドル論」(岩波書店)のなかで、「ダサい」、「バカじゃないの?」、「世間知らずのレッテルを貼ってやりたくなる」、「抜群のセンスの悪さ」などといった批判を投げかけていますが、批判としてはむしろこちらの方がずっと的を射てるんじゃないでしょうかね。まあ上野氏は春画の世界にも造詣が深く、自ら「色好み」であることを公言してますから、こうした批判もとっくに読み込み済みなんでしょうが。
>書店では裏向きで店員さんに渡したいタイプの秀逸なデザインですね!
それがですね、こうした「逃げ」(?)を防ぐために、裏表紙にも全く同じデザインが施されているんですよ、まさに上野千鶴子女史恐るべしですな。