
「行きつけの古本屋に寄ったついでに売り払ってきてくれ」ということで友人から預かった30册ほどの古雑誌の中の一冊「スペシャリーS&M」(日月舎)1979年7月号に「遠藤道子『M女自伝』ーヤプーのように愛されて過した日々ー」という記事を発見。遠藤道子という名前に聞き覚えがあったのでネットで検索してみたところ、SM調教師として斯界で名高い志摩紫光氏が運営する志摩プランニングのSMビデオに出演していたM女であることが判明した。
このテの雑誌にしばしば掲載されている「私はいかにしてM女になりし乎」あるいは「私はいかにして女王様になりし乎」といった類いの記事には普段あまり興味を引かれないのであるが、今回は別。それは1970年代初めに学生時代をおくった遠藤道子の青春に「あの時代」特有の光と影が色濃く感じられたからである。
1971年秋、数人の仲間とともに沖縄闘争に参加した時のことをこの自伝の中で彼女は次のように記している。
「私達は、全員逮捕、の覚悟を決め、下宿から、素性のわかるような本や資料はすべて片付け、私のごときは死をさえも覚悟して、身元のわからぬよう細心の注意を払って旅立ったものです。
経過を述べることはしませんが、とにかく凄まじいものでした。まず手始めに催涙ガスの集中攻撃です。目をやられて右往左往している私の耳元へ拳大の瓦礫が幾つも唸りを発して通りすぎていきました。アコーディオン・デモというのがあるのですが、前の人との間隔が開いた隙に、あのジェラルミンの楯がスッと割って入り、思い切り走っている私の膝頭を打ち砕きました。(中略)
彼等は又、幾度となく売国奴と言い、売女と罵りました。『売国奴』なるほど彼等からしてみれば、そう言うのも無理からぬことでしょう。けれど『売女』これはいけません。 私はそのころ、最も誇り高く、清潔で、しかも純情ですらありました。勿論まだ処女でありました。『売女』『売女』この言葉が壊れたレコードのように、いつまでも頭の中で唸りつづけていました。私は売女なのか、売女でしかないのか、そう思いながらも、被暗示性の強い私は、いつのまにか、その言葉のもつ色合いに染まっていってしまったのかもしれません。もしかしたら、今の私を作ったのは彼等のその一言かもしれないと、今思うのですが、思い過ごしでしょうか。
身体も心もズタズタにされて、私は傷ついた素足をひきずりながら、這うようにしてそれでも再び家に帰ることができました。(中略)
その時、彼は私の手を取り、
『かわいそうに、かわいそう・・・」
と言いながら、何気ない仕草で、私の身体を絹で包むように抱いてさすってくれたのです。 その時、私は気付くべきでした。私があの連中にどのように乱暴に扱われたかを話しているとき、次第に彼の目に異様な光沢が現れはじめたのは何故なのか。」
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