
拙ブログ7月7日のエントリーで取り上げた「エロスの原風景」の著者松沢呉一氏の新著「クズが世界を豊かにするーYouTubeから見るインターネット論」がつい先頃、ポット出版から刊行された。この本は動画配信サイトYouTubeで見れる様々な面白画像を紹介しながら、松沢呉一氏がインターネットの今後の可能性と問題点について語ったものである。氏のYouTube及びインターネットに対する評価が概ね肯定的であるのは本のタイトルからも容易に察せられる通りだが、ただ本書が凡百のネットメディア礼讃本と異なる点は、「劣化コピーや誤情報の温床」といったネットメディアのネガティブな側面にも鋭く切り込んでいるところだろう。おもしろ画像の楽しみ方にしても、ただおもしろければそれでいいというものではなく、そこにもある種のメディアリテラシーが必要とされるというのが氏の基本的な立場であるようだ。こうした氏のバランス感覚はネットユーザーによくありがちなマスコミ=マスゴミ否定論に囚われることなく次のように語っているところにもはっきりと表われている。
「イチャモンみたいなパソコン批判、携帯批判、ネット批判をする人たちがいる一方で、ネットユーザーからは、イチャモンみたいな既存メディア批判がなされています。それこそ『マスゴミ』って言ったりして。
私は昨年までの5年ほど、ほとんどテレビを観ておらず、そんな私からすると、いちいちテレビをチェックして『マスゴミ』なんて言っているヤツらに『おまえら、どんだけテレビを観ているんだ』って言わないではいられません。、もちろん、批判されてしかるべきところはあるのですが、それは個別の問題で、マスコミの全否定をしてもしょうがないし、するんだったら、『利用するな』ってことでしょう。
どっちもどっちで、なぜか『どちらかを選択しなければいけない』という二者択一の発想になっています。どちらの欠点も補完し合える関係になっていて、お互いを豊かにしてるとしか私には思えない。クズを排除してきた既存メディアにとっても、クズを排除しないインターネットは有益であり、今のところ、私にとっては、どっちも必要です。」
というわけで、「ゴミ」にも「クズ」にも限りなく愛着を覚える私にしてみれば、まさに「我が意を得たり」といったところなのだが・・・・・。
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>「ゴミ」にも「クズ」にも限りなく愛着を覚える私にしてみれば、まさに「我が意を得たり」といったところなのだが・・・・・。
ここは受験生ならマーカーつけて目立たせるぐらい大事なとこですね。
「マスゴミ」という発話態度というのは、前のエントリーにある警察の言葉、「地位も学問もある立派な人たち」の位置に、自分を置いているし、しかし、そのことに無自覚ということなのではないか。
たんに「そういうお前はなんだ」とか「批判に具体性がない」なんて言い合いしてもしょうがないけど。
クリティークをその質が問われる営為と思うのか、言あげすれば自分がすっきりするところで満足するのか、考えどころ。
それにネットの言論て、自分で取材したのでなく、マスコミ情報をあれこれいうのが多いでしょ。「オーマイニュース」も定着しなかった状況は、ネットユーザーが今よりましなマスコミニュケーション・ツールを不要と思っているってことではないのか、って自省があってもいいと思うけど。
>「マスゴミ」という発話態度というのは、前のエントリーにある警察の言葉、「地位も学問もある立派な人たち」の位置に、自分を置いている
まさに仰る通りだと思います。昨今のマスコミのあり方が「問題なし」とは到底言えないにもかかわらず、ネットユーザー側の「マスゴミ」という発話態度にぼんやりと感じていた違和感の正体がこれではっきりしました。要するにネットユーザーという、いわばサブカルチャーの側に身を置く者にとって、ゴミの視点からメインカルチャーを撃つという立場を放棄して、「地位も学問もある立派な人たち」の位置に自分を置いてしまうということだけは厳に慎まなければならないってことですよね。
>「オーマイニュース」も定着しなかった状況は、ネットユーザーが今よりましなマスコミニュケーション・ツールを不要と思っているってことではないのか
確かに現在のネット世界って一見限りなく開かれているように見えながら実際は極めて狭隘な閉鎖空間と化しつつあるような気もします。この点ではむしろ草創期の方がはるかに開かれていたと言えるかも知れませんな。
ネットという玉石混交の中から「玉」を探すことよりも、「石」を楽しむ事の方が豊かな時間が過ごせるという事でしょうか。(Youtubeや2chが代表格ですかね)
>「ネットは4〜5年で崩壊する」と大真面目に書いている記事がありました。
おそらくこの記事を書いた人は、「クズを排除しない(できない)」というネットの特性に危機感を募らせてこう書いたんじゃないでしょうか。ところがあにはからんや「クズを排除しない(できない)」ことの必然的帰結として現出した奇妙な玉石混交状態が一種独特のネット文化を生み出し始めているというのが現在の状況なんでしょうね。この場合、「玉石混交」が文字通り「混交」であるところが重要なところだと思います。つまり「玉」と「石」が截然と分離していない、「玉」と見えたものが実は「石」だったり、「石」と見えたものが「玉」だったり。「集合知」が「集合痴」に変わったり、またはその逆だったりとか。こうした点を見極める嗅覚こそがいわゆるメディアリテラシーってやつかも知れませんな。