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サブカル雑食手帳

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2006年03月29日

(資料・1)天皇裕仁と作家三島由紀夫の幸福な死(1)


            (1)    
                      
 三島由紀夫ー『永遠に昨日なるもの』を愛する、神国日本の正統作家、軍神あるいは死神の奇怪な恍惚の表情を称え、エロスイコール忠義なる方程式を編み出すことによって、日本の、次のノーベル文学賞候補を狙っている流行作家は、その朝、彼の文名にふさわしく幻想的且つ即物的な夢を見た。 妻の瑶子が風邪をひいて、いく日か彼を拒みつづけて居たせいか、それは性夢であったが、その対象は、彼が年月かけてひそかに、むしろ無意識に想いをかけている、皇太子妃美智子であった。
 その暁の夢の中で、三島はどうしたわけか  全くどうしたわけか、先月ローマのシスチナ通りで五千リラで買った縞のパジャマを着て、はだしで、東宮御所の夫妻の寝室にしのびこんだのである。
 皇太子がいま、中共を旅行中でベットが寂しいからと、先刻美智子から電話があったので、彼はただちに駆けつけたのだが、それにしてもなぜパジャマなど着て来たのか、どうせ美智子とすぐベットを共にするにしても、仮にも東宮御所を訪問するには、ネクタイをつけ、ズボンも靴も穿いている方がよかったのにと、三島はしきりに後悔していたが、むろんそれは皇室を最高の芸術品として愛している彼にとって、当然の思いであった。
 しかし、夢というものは、まことに致し方ないもので、彼はその頗る実用的かつ行動的な服装でノックもせずに寝室のドアを開け「妃殿下」と呼びかけたのだ。そしてそれではあまりにこのみそかごとの雰囲気を損うと考えて、改めて「美智子さま」と呼び直したのだ。その瞬間、夢はその非連続的な法則に従って、突然部屋を真昼のように明るくし、ベットに横たわる磁器のように白いなめらかな美智子の全裸の姿を、彼の眼前に浮び上らせた。
 それは三島がセクスの奥底で、時として激しく見ることを求めたものであったにも拘らず、彼は一種つつましいとも言えるやり方で、ほんのしばらくその女体から目をそらした。
 彼がその結婚の申し込みを断られてから、すでに十三年が過ぎ、その後、彼女は皇太子によって四回妊娠し三児を出産しているのだから、かつての白い牡丹の花びらのような、ふくよかで、しかも無駄なところといっては少しも見いだせぬ美しさは望むべくもないとは言え、この醜いばかりの瘠せようは、肋骨の線の浮び上りようは、どうであろう。乳房らしいふくらみは全く無く、それがあるべき箇所には錆びた真鋳のような黒褐色の乳首がつき出しているだけで、その上三島が特に目を覆いたく感じたのは、美智子の長い偏平な太腿が併さっておのずから鈍角のデルタを成した部分には、砂地のように何も生えて居なかったことであった。
 人々の目の前に現れる限りは、まばゆいばかりの着付けを雰囲気でごまかしても、肝腎の内容がこんなに貧しくては、なるほどこの頃皇太子が東宮御所の未亡人の女官と、とかくの噂があるというのは、根のないことではなかろうと、三島は、自分の子供が浩宮などと共に通っている学習院初等科のPTAでのひそやかな話をちらと思い出したが、しかし、そんな俗世間的な想念を忽ち打消す術(すべ)を彼は心得ていた。 (そうだ、これはあり得べきことなのだ。東宮妃ともあろうものがグラマ
ーであり、かつ刈るほどの春草を生い茂らせていてはならぬ。瘠せ細って、いたいたしい荒地と化して居なくてはその高貴さは立証されない。なぜならば、この国の長い伝統を破って、全くの平民である粉屋の娘から、直接正式な東宮妃への比類ない階級を昇った女性は昨日へ向って出発したことで、そもそも悲劇自体なのであり、常識的な肉体の美や幸福に安住するスノビズムは、そこでは最初から拒否されていた筈だから)
 こうしたしのびやかな場面に身を置いてもおのが美意識の展開を忘れない、作家としての自分に満足した三島は勃然と力を取戻し、一旦萎えた彼の波の穂先がふたたびうねりの上にそそりたつのを感じた。
 一気に女体の上に身を投げかけると、胃カタルでも起しているのか美智子の熱い唇は生臭かったが、かえってそれは不思議に三島をたかぶらせ、彼は突進し、彼女の中に深く身を沈めた。

 「ああ! そっとして・・・・・そっとして・・・・・宮さまのはいつもお弱いの・・・・・」

 とささやいた美智子のコケットをつき破り、彼は、その、草の少しも無いデルタに、日頃きたえた可能性のすべてとなって、打寄せ打返した・・・・・。
 その時枕許の電話のベルが鳴り、三島の意識は、夢の中の美智子の喘ぎと、朝となった現実の中の、聞きなれた青年の声との二つに、いきなり引き裂かれた。

 「こんなに朝早く電話をして申訳ありません」

 受話器の中の桂信也、楯の会の中の、三島お気に入りの若々しい声はひどく緊張していた。

 「大変な殺人プランをキャッチしたものですから」

 どこかの公衆電話からかけているらしく、その声の背景を自動車の爆音が駆け抜けた。

 「電話ではとても説明できない内容なんです」

 東京大学の航空学科に籍を置く桂は、昭和飛行機株式会社の御曹子で、いつかは自分が設計した爆撃機で中共を叩く夢を持ち、三島文学のファンであり、当然三島イズムの心酔者で真面目な青年だった。
 彼の美貌を、初めて或る座談会の席上で見て、その若駒のような、ナイーブでしかも敏捷な姿体にひどく心ひかれた時、三島は自分のエッセイの中に、二十一世紀は同性愛の時代になるであろうと書き、その後で天皇に対するシンボリックな若い親衛隊楯の会の構想の端緒を得た。やがてカルダンに会員の制服のデザインを依頼するようになった時も、桂信也の引き緊った中肉の気品ある印象が、三島の心の底に銀のように優雅に沈んでいたのだった。そしてそれを誰にも言わぬことで、三島はそ
の想いのヴォルテージを高めたのであった。

 「では、どこかに出て逢おうか」

 と言った時、三島は二日前信也と共に何回目かのLSDを試みて、きらきらした万華鏡のような幻想を得ることに成功したイプシロンという銀座の秘密クラブの一室を思い出し、夢精に濡れたラヴェンダー色のブリーフを取り替えながら、あそこなら朝の六時というこの時刻でも自分たちを拒むことはないと思った。しかし、彼がそれを口にする前に、信也はきっぱりした口調で、

 「ぼくは今、車で、先生のお宅のすぐ近くまで来ているのです」と言った。
 
 「ドライブしながら話ができませんか」

 三十分後、彼らの乗ったオリーブ色のベンツは、まだ車も人もまばらな千鳥ケ淵から三宅坂を通り、皇居前広場へと走っていた。
 六月半ばの早朝の大内山の、濃淡とりどりの緑は孔雀石の紋様にも似て美しく、朝霧に濡れ色の高い石垣と二重橋の典雅な均衡に、期せずして二人は何ものにも替え難い尊さを感じた。 新宮殿の屋根の群青(ぐんじょう)が、松の波なす緑の間にわずかに望まれる、二人の好きな場所へ来ると信也は車を止めて、その年令にしては幾分沈鬱な、それゆえに三島をひきつける調子で言った。

 「信じたくないのです。しかし、あの電話の声は、どう考えても真剣で、あんまり内容が具体的なので」(ああ、若者は少女より美しい。花よりも若葉に心ときめかす。あの心理がおれの中にある)

 三島は自らの心理分析に軽く酔いながら信也の目をのぞきこんだ。

 「君自身が耳を疑う事実を、忙しく疲れて想像力を第六感の欠除を強いられている、真夜中の警官に信じさせるのは、むずかしいことだろうな」

 それに大体シャープな人間や直感力のある人間は、ああいう職業には就かないからね、と言おうとして、彼はやめた。
 桂信也の耳へ、その驚くべき話が突然とび込んで来たのは、今朝の三時半だった。
 電話のベルに起きて行くと、聞きなれない声が、はっきりと、

「桂君だね」

 と言ったので、「はァ」と答えると、向うは息つくひまもないほど激しい口調の早口で、しかも言葉の粒をはっきりと忽ちおそろしい話へ信也をひきずりこみ、気がついた時彼はその正体不明の相手に、自分は確かに桂だが、君が電話しようとした桂ではないと、言えなくなっていた。

 「君の二十二口径ライフルは霜錦亭(そうきんてい)の西側、紅葉の大木のある方の軒に隠しておいたよ。
 いいかね、植丸の車は坂下門から入って、勤労奉仕団宿舎の前を通り、下道灌堀の北側から馬場を横切って花陰亭へ行く。そこで君は一旦降りたら、亭(あずまや)の手入れを手伝いな
がら、霜錦亭の方へ脱け出すチャンスを狙うんだ。
 一昨日打ち合せしたことを、もう一度くり返すからよく聞いて呉れ。
 天皇が吹上御苑を散歩するのは、今朝は九時頃だ。それまでに霜錦亭へしのびこんでいれば、あいつは野鳥を見たり植物を見たり、ひとりでぶらぶら気楽にやってくる。どこへでもついて行く内舎人(うどねり)もその時だけは遠慮することになっている。宮内庁のうるさい爺いどもさえ、あそこへはめったに入らないんだから。
 いいか、充分狙って、必らずやっつけろよ。
 六十九だといっても、まだまだあのくそ爺いのやつ元気でいるのは有難い。超級の戦犯で、先祖代々の纂奪者として殺してやることが出来るのだからな。
 君のことだから、むろん只の一発で仕止めるだろうが、残りの弾丸も全部射ちこんで、蜂の巣のようにす・・・・・あッ!」

 一息にそこまで言ってから、向うはやっとこちらの、石のように堅くなった反応の異様さに気付き、唐突を切った。

 「畜生! 間違えた!」

 その狼狽した声は、遠い銃声のように短かく早く信也の耳をつきぬけ、その後にガチャンと強く置かれたアームの音が、ピリオドとなって残った。
 皇居の内部に関する予備知識が、又天皇に対する深い敬愛の念に裏付けられた想像力が無かったら、この突飛と言いたいような間違い電話の内容は、信也の耳にそれほど突き差さらなかったかもしれない。
 だが、彼は、仮にも楯の会の幹部であり、つい先日その若い感受性を以って、宝石のような皇居の空中写真をカラーで見て、特に親しんだばかりだった。
 やはり三島のファンの一人である朝日新聞のあるカメラマンが撮って贈って呉れたそのタブロイド版の写真を見せて貰う時、信也は六十五歳になる大叔父の橋村と同道で三島の家へ来たが、それは四十五年間を皇室の侍従職の職員として勤め上げ、昨年春の叙勲者となったこの老人に、写真の説明を精しく聴きたいという三島の希望があったからだった。

 「長年を勤めまして、皇居については隅から隅までよく知っているつもりでしたが、全景をこんなに大きい御写真で拝見したことは初めてです。今さらながら千代田城は美しいところですなあ」

 橋村は、カラー写真の或る種のオリジナル、悪く言えば精緻な胡麻化しに気付かないのか、或いは気付いてもそれを表に現さないのか誉めんばかりの熱心さでそれを観察し、濠のこまかな名称や建物の沿革、それにまつわる行事や皇族旧華族の出入について、そこの雰囲気に半世紀近くなじんだ者でなくては出来ない、さまざまの話をした。
 その時、会話は、三島の回転の早い造型的なリードと質問によってきらめきながら展開し、信也の熱い心は、皇居と、そこに住むほかならぬ人間としての高貴な形相(けいそう)に対して、さながら女体への憧れにも似た深い関心を抱いたのであった。
 ーそれゆえに、信也がそのショッキングな間違い電話の内容を急いで警視庁へ通報した時、話は当然そこへふれた。

 「これは確かに、何者かの実際的な天皇暗殺計画です。
 植丸というのは世田谷に江戸時代から住んでいる植木屋で、徳川将軍家のお出入りだったのが、東京時代に移って、皇族方や華族方のお邸へも召されるようになり、今も皇居内へ仕事に来ているのです。私は大叔父から直接その話を聞いたので、事実に符合して居ります。
 坂下門から入って霜錦亭へ行く道筋にしても、吹上御苑内の事情にしても、すべて話の通りです。
 おそらく、今朝、誰かが、或いは赤軍派の乱暴者あたりが、植木屋の職人の中へ紛れ込んで、陛下を狙撃するために吹上御苑に侵入しようとしているにちがいありません」

 しかし、警視庁の電話に出て信也に応対した中年の事務的な声は、信也の話の内容より、先ず住所や仕事や電話番号を聞くことに重点を置き、肝腎のことは聞きおくといった態度だった。そして、いずれ又、事の真疑を調べてから連絡する筈だと、そっけなく電話を切った。
 その冷淡な反応のせいで、信也の心配は冷めるどころか、一層強くなった。
 彼はすぐに楯の会の制服に身を固めると、自分専用のベンツを車庫から出し、自宅に近い四谷の警察本署に駆けつけた。警官と直接顔を合せて詳しい説明をし、一刻も早く皇居内へ警備増配の要請をさせたいと考えたのだ。
 しかし、ここでも警官の反応は冷淡なものだった。
 桂信也は先ず、酔っていないかどうか調べられ、次に精神異常ではないかと疑われ、そのブラスバンドの制服のようなのは何かと質問された。
 東北から出て来たばかりのその若い生真面目な警官は、楯の会というのは三島というやくざをボスとする暴力団だと堅く思いこんでいたので、話は面倒になり、信也は報告を聴いて貰うどころか、しまいには適当に謝罪して、やっと『釈放』して貰う始末だった。
 方途を失った信也は、思いついて公衆電話の番号係に尋ね、千代田城内の皇宮警察へ電話した。彼は皇宮警察が一般のそれのように警視庁には属して居らず宮内庁の管轄に入って居り、その古風な形式主義と奇妙なプライドのために市中の警備や連絡から孤立し、或る意味では見放されているのを知らなかった。

 パトロールなのか手不足なのか、そこはいくらダイヤルしても応対がなく、三十分後やっと出た男は上司に知らせるからしばらく待って欲しいと言い、十分も待たせたあげく出て来た男は、もう一度初めから終りまで信也に話を繰返させ、もう一段上の係を呼ぶからと、更に十分も信也を電話口で待たせ、出て来た別の男は、又もや信也に話をすっかりするよう求め、そのあげく、

 「いたずら電話は止して下さい」

 と、たった一言で電話を切ってしまった。
 三島由紀夫が、美智子の鼓動をじかにその胸から聴いて居る夢を信也からの電話のベルで中断されたのは、それから十五分後だったのである。

 「先生、ぼくは考えました。もう凶行の時間も迫って居ます。こうなったら、ぼくら自身が天皇陛下をお護りする以外ありません」

 信也は、恋を打ちあける青年の、思い詰めた声で言った。

 「ぼくの旭日号で吹上御苑へ直接行きましょう。 例えその為に、ぼくらが皇居侵入の罪を被ることがあっても、聖体さえ御無事ならば!」(ああ! 日本は何という良い国だろう。こういう無垢な心の青年が八十年代へ向って飛翔しようとしている)

 三島がその時感動したのは、信也の凛々しい眉と、歯切れのよいしかも沈んだ声と、カルダンが特にダーツの位置に注意してデザインした制服の中に息づく若々しい胸郭のヴォリュームと、そしてそれらのすべてを包む自分への信頼の調子とであった。両性愛好者(コンヴァーチブル)である三島は、この信也とベットを共にしたことがあり、その初々しい胸毛のあるがっちりした胸郭の上下につれて腹筋が伸び縮みする、あの焼けるような緊張をよく知って居た。

 「今、この若者の全人格的な心身の高揚に合致することをためらって、何のおれがおれだろう・・・・・」

 と三島はいみじくも思ったのである。(この若い率直な思想と行動を否定して、彼方を夢みる高次な大義をどこに我々は見るのか?)

 「よし、行こう。しかしその前にぼくも制服に着替えていきたいから、車を一旦うちへ回して呉れ給え」

 彼はついに言った。その時三島の意識の中を、つい先刻パジャマ姿で東宮御所へ行った夢の恥ずかしかった記憶がかすめ、いかに緊急の場合とは言え、陛下の御前に直接出るには礼服らしきものを着用する必要があるのではなかろうか、先月歌舞伎座で自分の戯曲が上演された時初めて着て行ったパリ製の紺のダブルはどうだろうという考えが浮んだのを、彼は慌てて押し隠した。自分はいわゆる世俗的なボンサンスを無視することに於て類いのない、青春という国にも同時に殉ずるのだ。この青
年の高貴な若さと全き同円の行動へ今こそ自分は身を投ずるのだ。
 そして一時間後、昭島市の昭和飛行機グランドから、米国ヒューズ社製のOH六型ヘリコプターは、銀色のローターをフル回転し、胴体に日章旗のマーク鮮やかな、濃紺の卵型の機体を垂直に上昇させた。高度ニ百米に達し機首が真東に向いた時、それまで淡い紫色だったジェットの炎は、俄に銀粉を含んだ濃い紫色になり、梅雨晴れの朝空に水平に直線を描いた。信也はすでに九百飛翔時間このヘリを愛用して居た。

 「エンジンの調子が凄くいいです」

 声がインターフォンを通じて、ヘルメットの下の青年の中高な顔が軽くほころびた時、三島は自分の思想の中から生れた若い軍神(マルズ)を確かにそこに見たと思った。 (つづく)
 






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posted by 下等遊民 at 03:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久しぶりです^^
すごい背徳本ですね〜w
こうやって著名人などは勝手に妄想の中で弄ばれて面白がられてたりする事も多いんだろうなぁ、と思いました。。
実在の人物をモデルにすると、普通は名誉毀損になりますもんね。。

左翼のストレス解消なんでしょうけど、あまりの
アホらしさを極めた優美なエロティシズムという風に読むとそれはそれで、面白いですね。

Posted by プチセレブ at 2006年04月14日 23:09
>プチセレブ様
 コメントありがとうございました。
正規の出版ルートに乗せられることなく、あたかも文学史のあだ花のごとく闇から闇に忘れ去られていく運命にあるアングラ小説の中には、意外と思わぬ名作(迷作?)が埋もれているもんですよね。1970年という年は赤軍派による「よど号乗っ取り事件」があったり、三島由紀夫氏の自決事件があったりと何かと騒がしい年でしたが、この小説が書かれたのが上記二つの事件の狭間だったということを考えながら読むと一層面白いのではないかと思われます。
Posted by 下等遊民 at 2006年04月16日 00:33
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