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サブカル雑食手帳

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2010年09月13日

奴隷の歓喜

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 沼正三氏が1953年から「奇譚クラブ」誌上で連載を開始したエッセイ全140章を6巻にまとめた「ある夢想家の手帖から」シリーズ(潮出版社)は今やちょっとしたレアものとなっているが、最近その第4巻にあたる「奴隷の歓喜」をゲットした。沼氏のエッセイはブロンド女性崇拝をテーマにしたものが圧倒的に多く、それは沼氏がマゾヒズムに開眼したそもそものきっかけが、戦時中に英軍捕虜となって美しい女性将校に献身的奉仕を強いられたことだったことを思えば無理からぬことではあるのだが、ブロンド女性に特別の執着を持たない(もちろん嫌いというわけではないが)私などには読んでも今ひとつピンとこないものが少なくなかった。その点は今回ゲットした「奴隷の歓喜」も同じなのだが、第106章「奴隷の喜び」の「追記」で「奇譚クラブ」に掲載された「天使とブタ」(浅羽やすし)という作品を取り上げ、汚物愛好心理を考察しているところはなかなか面白かった。 沼氏によると、この作品は、兄の家に下宿している受験生がコプロラグニックな衝動に駆られ、もとスチュワーデス(今は死語であるが)の北欧風の美女である兄嫁の汚物に関心を持ったことから、ついにはテレビのCМモデルをしているフランス人形のような少女リカのブタ(何でも食べる)にされてしまう話で、その初め、自分に冷たい兄嫁が慌てて水を流さずに出たトイレに入って、未消化のピーナツを見つけ口にする場面があるとのこと。で、面白いのは、ピーナツをのみこんだ時の心境が、「なにか、伊佐子そのものを呑みこんだ感じだった。彼女をひどくけがしたみたいな気持だったが、また、自分自身が、あべこべに、ひどいはずかしめを受けたみたいだった。・・・・・兄貴でさえ、かつて試みたことのない方法で伊佐子をじぶんのものにしたのは、痛快だった」と書かれていること、またそれについて「『夫にもできない方法で女をものにした』という感じ方なら私にも分る」と沼氏が告白していることである(蛇足ながらこういう感じ方なら、「私にも分る」)。続けて沼氏は、「『自分がはずかしめられると同時に相手を冒涜した感じ』というのは、奇異に聞えようが、対象神格化が強いと、そういう汚れた方法での接触しか許されないのだという卑下の屈辱感と、他方、それがアブノーマルであるとの自覚からの神聖冒涜のうしろめたい気持と、両方生じるのであって、この作者自身が体験者でなければ、書けない心理だと思う。」と分析しているが、筋金入りのマゾヒストを自認する沼氏においても、汚物愛好に関してだけはサド心理とマゾ心理が未分化のまま共存しているということなのか、いずれにしろ興味深いところである。



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posted by 下等遊民 at 03:22| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マゾヒストにおけるサディスティックな一面の同居。相反する要素を持ちながら、極めて自然な感じもしますね〜。汚物崇拝というのは、「美女はウンコしない」という前提で成立している部分があると思うので、この前提を打ち壊すこと自体がサディスティックな部分であり、又、自分自身の中で美化したもの(=自分の人格の一部)を傷つける、自傷行為(マゾヒズム)なのかも知れませんね。それにしても人間(変態)とは複雑なものです。
Posted by wakuwaku1776 at 2010年09月13日 23:57
 >wakuwaku1776様

 >マゾヒストにおけるサディスティックな一面の同居

 「夫(恋人でもいいですが)にもできない方法で女をものにする」というサド的感覚がマゾヒストにおける汚物崇拝心理の中にも潜んでいるという点にまず興味を惹かれました。沼氏は別のところで、「サディズムとマゾヒズムは全く別物なので、それを表裏一体とするサド=マゾヒズムという言葉は適切でない」といったようなことを書いていますが、こと汚物崇拝心理に関しては、サド=マゾヒズムという言葉こそがピッタリ当てはまるのではないかと。

 >汚物崇拝というのは、「美女はウンコしない」という前提で成立している

 そもそも対象を冒涜するという行為自体が、対象の神格化を前提として初めて可能となるわけですからね〜。そう考えると、例えばアイドルのスキャンダルなどが大衆にウケるという現象の中にも非常に薄められた形ではあれこうした心理的メカニズムが潜んでいるとも言えそうですね。
 
Posted by 下等遊民 at 2010年09月14日 03:42
 >wakuwaku1776様

 「女をものにする」という言葉は通常、女とHすることを意味していますが、女を未消化のピーナツにシンボライズさせてそれを喰ってしまう行為の方がはるかに「女をものにする」という言葉が相応しいのではないかと思います。
Posted by 下等遊民 at 2010年09月14日 07:37
自己卑下の日常を生きざるをえない私は、冒涜の幻想を肥大化させることで精神のバランスを保っているようなものです。ちょっと危ないですね。もちろん自制はしておりますが。
Posted by MOTEL801 at 2010年09月15日 16:01
  >MOTEL801様

 >自己卑下の日常を生きざるをえない私は、冒涜の幻想を肥大化させることで精神のバランスを保っているようなもの

 「冒涜の幻想」の具体的内容がどのようなものなのか、興味深いですね。幻想というのは完全に満たされることがないからこそ、幻想であり続けるのである以上、それが肥大化していくのはある意味、宿命のようなものなのかも知れません。問題は肥大化していく幻想を自分の中でいかに飼い慣らしていくかということですが、それについての決定的な処方箋は残念ながら存在しないような気もしています。
 




Posted by 下等遊民 at 2010年09月16日 01:43
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