らためて右翼テロの卑劣さ、兇悪さを浮き彫りにしたといえる。
幸いにして今回の事件では死者が出ることはなかったが、戦
後史を振り返ってみれば、殺人にまで至った右翼テロは枚挙に
暇がないほど発生している。中でも60年安保闘争の渦中で起
きた淺沼稲次郎(当時の社会党委員長)刺殺事件は犯人が17
歳の右翼少年(大日本愛国党所属、犯行直前に離党)だったこ
とや、刺殺の瞬間が国会中継のさなかリアルタイムで放映され
たこともあって世間に多大な衝撃を与えた。
この事件の後、作家の大江健三郎氏がこの17歳の右翼少年
(山口二矢)をモデルにした「セブンティーン」という作品を
発表したが、第2部にあたる「政治少年死す」は右翼の圧力に
よって、今なお大江氏の作品集の中に収録されないという状態
が続いている。
大江氏はこの作品の中で少年を徹頭徹尾「現実から疎外され
た孤独なオナニスト」として描いているが、右翼側からすれば、
それは自分たちに対する由々しき侮辱として感じられたのかも
知れない。
「政治少年死す」は一人称の独白体といったスタイルをとって
いるため、どの部分を読んでも右翼少年の脳内妄想を垣間見る
ことが出来るが、ここでは「現実から疎外された孤独なオナニ
スト」の妄想から次第に右翼思想が醸成されていく内的過程を
特にリアルに描写していると思われる部分を2箇所ほど選んで
紹介しておこう。
「おれは自涜しようと性器をもてあそびはじめたが、それは
百回の自涜につかれてしまった物のように、決して息づき膨ら
み硬くなり柿色をしてこない。青黒くぐにゃぐにゃと股倉のな
かで恥かしがっている。おれは狼狽して頭を下腹におしつける
くらい屈みこんで性器をためつすがめつしもみほぐしたがそれ
は勃起して男根の光彩を陸離とはなつことはなかった。おれは
インポテだった、しかも正真正銘のインポテなのだ。頭がずき
ずき痛み、嘔気がし猫のひっかき傷が熱くなっていた。おれは
最低で、それは確かにおれの十七歳の誕生日の夜に似ていた、
おれは怯えきったインポテのセブンティーンなのだ、そしてお
れは苦しみながら浅い眠りをねむる一瞬、自分が美智子さんで、
それは結婚式の前夜で、父親、母親たちの前で恐怖から涙にむ
せんでいるというような夢を見て叫びたてながら眼ざめた、ま
たおれは自分がタジマモリで、しかもおれが世界の隅からもっ
てくるために艱難辛苦した花橘の実をバルザックのようなガウ
ンを着た天皇に<なんだ、汚ならしい>とでもいうように無視
される夢も見た。そしておれは結局、物置の白じらしい暗闇と
冷たさのなかに泣く気力もなく不機嫌に汚れきって、強姦され
た娘のように膝をかかえてベッドに坐り、自己放棄したあげく
また戻ってきたような忠とは私心があってはならない、という
黄金の言葉を反芻していたのである、それは鬼と明治天皇の肖
像とをミックスしたような架空の純粋天皇によって、物置の外
の小鳥の声と電車の始発する信号の音とをともなった朝の気配
のおとずれとともに、おれによびかけられた言葉だ、純粋天皇
がほんとうに存在して、その全能の眼を、かれの選ばれたるセ
ブンティーンの物置の船室にそそいだとしたら、その神々しい
眼は見ただろう、体を小さくしてうずくまり不眠と脂で黒ずん
だ小っぽけな顔をした少年の頭のなかに、次のようなみすぼら
しく枯れた言葉の花ぐさりがもつれあってひっかかっているの
を見ただろう、<やるほかないさ、おれにはもう私心のひとか
けらさえも自分の腕でさげて歩く力はない>それでもおれは朝
の陽ざしがあたためた裏庭に出て種々雑多な菊の類を踏みしだ
いて縄をまいた棒を立て、唐手の練習をやっているうちにかな
り回復し、しだいに熱病がさめてくるような気分になった、お
れは唐手の棒をすこしけずりマジック・インクで皇紀二千六百
二十年と書き、また裏側にも神洲不滅と書きつけ、汗が新しく
にじみ出て昨夜来の悪い汗を洗い流すまで縄の縞目を殴りつづ
けた。」
「おれは暗殺する前、その瞬間、そしてそれ以後においても、
やがておれはどうなるのか、ということを正面からたちむかっ
て考えたことはなかったという気がする、おれは将来になにを
見ていたのか? 死だ、私心なき者の恐怖なき死、至福の死、
そして天皇こそは死を超え、死から恐怖の牙をもぎとり、恐怖
を至福にかえて死をかざる存在なのだった! おれはこの花の
香りのような死、菓子の甘さのような死の家にはいって行くま
えにちょっとふりかえって挨拶するように、暗殺をおこなった
のだ。いまになってみればよくわかる、今朝おれがとっさにいっ
た右翼の言葉、身を棄てて大義をおこなうは、忠とは私心があっ
てはならないという言葉と同じ意味なのだ、おれ個人の恐怖に
みちた魂を棄てて純粋天皇の偉大な溶鉱炉のなかに跳びこむこ
とだ、そのあとに不安なき選れたる者の恍惚がおとずれる、恒
常のオルガスムがおとずれる、恍惚はいつまでもさめず、オル
ガスムはそれが常態であるかのようにつづく、それは一瞬であ
り永遠だ、死はそのなかに吸いこまれる、それはゼロ変化にす
ぎなくなる。おれは委員長を刺殺した瞬間に、この至福の四次
元に跳びこんだのだ!」
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