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サブカル雑食手帳

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2015年03月29日

「昭和天皇実録」発売にちなんで

 宮内庁が24年の歳月をかけて編修したとされる「昭和天皇実録」全19冊の第一巻と第二巻が今月27日に発売された。出版不況がささやかれるさなか、版元の東京書籍では早くも在庫が品切れというから、ピケティ「21世紀の資本」と並んでちょっとしたブームといっても過言ではないだろう。今後はこのブームに便乗した関連本も次々と刊行されるのではなかろうか。
 さて、昭和天皇といえば、9年ほど前になるが、「天皇裕仁と作家三島由紀夫の幸福な死」と題された極め付きのアングラ小説を、正体不明の作者である奥月宴氏がこの小説のあとがきで、著作権放棄というか、今風に言えば、「拡散希望」(実際、新宿の模索舎あたりではこれまでに何度かこの作品の海賊版が出まわっていたそうな)を宣言していたのをいいことに、当ブログで全文紹介させていただいたことがあった。こちらは実録どころか、ストーリー自体はまったくもって荒唐無稽なシロモノ(三島の死をその直前に予見していたという点には驚かされるが)であったが、久しぶりに読み返してみたところ、少なくとも昭和天皇の人物像という点に関しては、ノンフィクションをはるかに超えるほどの説得力とリアリティが感じられたのである。そんなわけで、今回はこの作品中、昭和天皇の人物像に触れた部分から2か所を選んで抜粋しておくことにしよう(興味ある向きは全文を読まれたい)。「激動の時代」を生きた昭和天皇ならではの孤独と苦悩がひしひしと伝わってくること受け合いである。

 「裕仁が生れ落ちてから今まで、七十年間棲んでいたこの世界は、おそらくハプニングというものの無さでも又希有の場であった。そこではいつも誰かしらが彼の二十四時間を裁断し、人間として必要な時間といわゆる国家のための時間とをごちゃまぜにして押し出す労力を誰かれとない多数の人間に割当てていた。そしてその割当てを受けた侍従や主厨や式部は、恰もその仕事を直接裕仁から命じられたように忠実にうやうやしく行うことで二重に彼の自由を奪うのであった。
 東宮当時、良子(ながこ)女王と結婚した時も、皇太子には初夜の肉体的心理的労苦を与えてはならぬという古式にのっとり、彼女の父の久邇宮邦彦(くにのみやくによし)がすでに自ら性の手ほどきを充分にしておいたので、裕仁は処女のおののきや恥じらいというハプニングすら味わうことが出来なかったほどである。」(資料・2

「無類の女好きだった明治天皇の妾腹の子として遺伝梅毒になやまされた大正天皇の長子にしては健康で子供も多く持った裕仁は、死を何より恐れる常識的な生物学者として、生命が動き育つことをひたすら愛したから、生を尻目に後向きに歩くことをダンディズムとして愛する三島が、エロスと死の相を芸術的に融合しようとした試みを理解できる筈がなかった。
 裕仁は無意識に三島の中に敵を見た。この作家の中に花咲く精神こそが、自分を息詰まらせ、あらゆる自由から無縁にし、生きながらミイラにしてガラス箱に納めなくては承知できないのだと、あまりシャープではない彼もその特殊な境遇ゆえに悟り、ふかく心に怖れをたたみこんだのだ。
 口には絶対に出さなかったが、戦争が心底(しんそこ)恐くてならぬ裕仁は、社会党がこのごろしきりに言うように、武器を全く捨てて永世中立を日本が守れたらどんなにいいだろうと考え、もし自分に選挙権というものがあったら社会党に入れるのにとすら考えた程だったから、右翼ファシストのテロルを待望する三島が天皇制の支持者であることは実に困惑させられることだったのである。」(資料・3

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posted by 下等遊民 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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