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サブカル雑食手帳

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2017年11月25日

三島由紀夫と「愛国心」

 「実は私は『愛国心』といふ言葉があまり好きではない。何となく『愛妻家』といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の『愛』の字が私はきらひである。自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。」(三島由紀夫「愛国心」より )

 すっかり忘れ果てていたのだが、先ほどたまたま立ち寄った友人宅での雑談の中で今日が三島由紀夫の命日(憂国忌)であることを思い出した。↑に引用した文章は、三島由紀夫が自決の2年前の1968年(昭和43年)、朝日新聞夕刊に書いたものだが、49年の歳月を経ているにもかかわらず少しも色褪せた感が感じられないところはさすがである。
posted by 下等遊民 at 19:53| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 愛国百人一首とか愛国行進曲とか、戦争へ向かうなかで「愛国」という言葉は大量生産されたでしょうね。
 三島ならずとも、俗物の手による粗製乱造の言葉と感じられても不思議はないけど、左翼は政治文脈でのみこの言葉を批判してきたのでしょう。

 「愛国」って明治期にもよく使われた言葉だったのでしょうかね。「愛」って言葉自体が、日本人にはすわりが悪いような心持があるのではないかな。キリスト教が盛んに使うので、そのバイアスもあるかもしれない。「恋愛」って言葉も、近代になって独自の意味で広まったでしょうし。
 まあ「敬天愛人」みたいに熟せば、そんなに抵抗感はないけど。
 日本語の伝統、日本人の感覚からいうと「愛国」というのはわざとらしさがあるでしょうね。「愛妻家」を引き合いに出すのはうまい例示だと思います。
Posted by kuroneko at 2017年11月26日 17:48
 >kuronekoさま

太宰の桜桃忌が今なお一般受けしているのに対し、三島の憂国忌が一部のマニア(?)の間を除いてまったくといっていいほど話題にならんのはやはりあの特異な死に方によるものなんでしょうかね。

 >左翼は政治文脈でのみこの言葉を批判してきた


 左翼の「愛国心」批判がもっぱら戦略的(その原点にはレーニンの「革命的祖国敗北主義」あたりがあるのかも知れませんが)、論理的なものであるのに対し、三島の「愛国心」批判には生理的、肌感覚的な嫌悪感みたいなものが強く感じられますよね。ただ生理的、肌感覚的である分、こちらのほうが一層、根が深いとも言えそうですが。

 >「愛国」って明治期にもよく使われた言葉だったのでしょうかね。

 板垣退助の愛国社やら奥村五百子の愛国婦人会やら、とにかく明治時代には何にでもやたらと「愛国」という言葉をくっつけるのが流行っていたようですが、これって1930年代の西欧で大した意味もなく、やたらと「社会主義」という言葉をくっつける(ヒトラーの「国家社会主義ドイツ労働者党」みたいに)のが流行ったのとどこか似ているんじゃないでしょうかね。

 >「恋愛」って言葉も、近代になって独自の意味で広まった

 そういえば、近代文学の中の「恋愛」ってなんか命がけで遂行しなきゃならん一種の宗教活動みたいな感じすら受けますよね。

 >まあ「敬天愛人」みたいに熟せば、そんなに抵抗感はないけど。

 「愛」などという茫漠とした定義不能な言葉を使う以上はせめてこれくらいの大風呂敷は広げてほしいもんであります。

>「愛妻家」を引き合いに出すのはうまい例示

「愛国心」という言葉から受ける胡散臭さや気色悪さを説明するのにこれ以上、相応しい例示はないんじゃないでしょうかね。これが「愛犬家」とか「愛猫家」だったらまったく説得力がないんじゃないかと。
Posted by 下等遊民 at 2017年11月27日 21:23
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