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サブカル雑食手帳

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2019年02月28日

アートとズリネタ

京都造形芸術大の東京キャンパスで行われた、美術家・会田誠氏による公開講座を受講した女性が環境型セクハラで精神的苦痛を受けたとして、大学を運営する学校法人「瓜生山学園」に慰謝料の支払いを求める訴訟を起こしたことが物議を醸している。環境型セクハラとはなにか。厚生労働省・都道府県労働局雇用均等室「セクシャルハラスメント対策マニュアル」によれば、労働者の意に反する性的な言動により、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、その労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることを言うらしい。だとすれば、職場と違って不快ならいつでも自由に退席でき、また退席したところで何の問題もない社会人向け公開講義にこの環境型セクハラという概念を当てはめることが適切なのか否かとの疑問も生じるが、それはさておき、私が一番面白いと思ったのは、会田誠氏が講義の中で口走ったといわれている「デッサンに来たモデルをズリネタにした」という発言である。この発言について、会田誠氏は、「美大油絵科の学生としてみんなとヌードモデルを描いていた時に、はたと気づいた。裸の女性が真ん中にいて、たくさんの男たちが(当時美大は男子学生が多かった)それを凝視している」「そして言外に欲情は禁じられてる。これってなんなんだ? 何ゆえなんだ? 歴史的経緯は? 美術・芸術の領域(具体的には芸大上野キャンパス)から一歩出た世間は、まったく違う風か吹いているじゃないか? どっちが嘘をついているんだ? どっちが病的なんだ? そういう問いです」と弁明しているそうだが、確かにアートとズリネタというのはそんなに截然と区別できるものではないんじゃないか。たとえば、あの「アヴィニョンの娘たち」だってピカソにとっては立派なズリネタだったかも知れんではないか。

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posted by 下等遊民 at 22:04| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この画家さん、四つ這いになったポーズで、同じような「包帯巻途中まで手足」の女性を描いた絵が問題になった人じゃなかったっけかな。

女性団体などの活動家からは大批判受けたけど、展覧会は大盛況でした。

わたしはその四つ這いポーズ、永井豪の漫画で見たとのと似ていると思いました。永井豪のほうは普通に人体でして、線描だけ比べれば永井豪に勝てないのかな、という気も。

>「そして言外に欲情は禁じられてる。これってなんなんだ? 何ゆえなんだ? 歴史的経緯は? 美術・芸術の領域(具体的には芸大上野キャンパス)から一歩出た世間は、まったく違う風か吹いているじゃないか? どっちが嘘をついているんだ? どっちが病的なんだ? そういう問いです」

 しかし、風呂屋の番台だって、ファッションショーの裏方だって、女性の裸を見て欲情しないのは職業倫理というか、そういうもんじゃないかと思いますけどね。なんで美術・芸術って偉そうにするんだ、この人、って気がしなくもない。

街中の彫像、裸婦でもダビデ像のチンチンでもいいけど、それ見て欲情しないのが、嘘だったり病的だったりするってえこともないと思うけど。

 画学生がデッサンの稽古中、欲情しないのは、風呂屋の番台と同じで、それが学生の仕事で、お仕事中だからじゃないのかなあ。
Posted by kuruneko at 2019年03月03日 00:38
 >kuronekoさま

 >永井豪の漫画で見たのと似ている

 確かに言われてみれば、そんな感じがしますよね。一見、カストリ雑誌の表紙絵を連想させるような通俗臭がするというか。会田氏が永井豪の漫画を意識的にヒントにしたわけではなくても無意識的な感化はあったのかも知れませんね。

 >街中の彫像、裸婦でもダビデ像のチンチンでもいいけど、それ見て欲情しないのが、嘘だったり病的だったりするってえこともないと思うけど。

 それ見てまったく欲情しないのもモロに欲情してしまうのも立ち位置のゆるぎなさという点では「健全」といえるんじゃないでしょうかね。で、画学生のあり方としてはそうした「健全」な意識でモデルさんを眺めるよりも、お仕事だから欲情すべき(ズリネタにすべき)ではないが、だからといって裸のモデルさんを花瓶とか石ころみたいな無機物として眺めるわけにもいかないという葛藤(ある意味で病的な意識)を抱えこんだまま絵を描くほうが優れた作品を生み出すことにつながるのではないかと愚考するんですがどんなもんでしょうか。もちろん絵を描く側の技量の問題も当然あるでしょうが。で、フト思いついたんですが、ウェブ上に食傷するほど氾濫している女性のヌード画像を一度、モデルさんを見て欲情することが禁じられている画学生の目線に立って(要するに会田氏の問題提起を逆手にとって)見てみようではないかと。もしかするとこれまで経験したことのない新鮮な興奮が得られるかも。
Posted by 下等遊民 at 2019年03月03日 08:56
どうなんでしょうね。エロ漫画を描く漫画家は、顧客の欲情を計算しているでしょうけど、自分がアヘアへやってちゃ仕事がはかどらないかも。
春画の製作者も、モチーフはエロでも制作中は構図とか色彩とか美術要素のほうが意識の大半を占めていて、普通の肉筆画や版画を作る時と、それほど変わりがないかもしれない。

>女性のヌード画像を一度、モデルさんを見て欲情することが禁じられている画学生の目線に立って

とりあえず、こちらのブログにある画像で自分がデッサンの練習をするつもりで見てみましたが、
実際に画を描かないと実感がわかないような・・・。「アソコ見えるかな」などと思わずに、「この肉のボリュームが・・・」とか「背中から足へかけての弓なりのラインが、とか構図とか質感とかを意識して見たのですけどね。

http://yakenn2002.seesaa.net/article/461802569.html

http://yakenn2002.seesaa.net/index-2.html

Posted by kuroneko at 2019年03月03日 23:05
小学生の頃、岩波少年少女文学全集の中の一冊に、トマス・ブルフィンチ『ギリシャ・ローマ神話』というのがありました。
その中に、海から来る怪獣に生贄に捧げられようとするアンドロメダを、英雄ペルセウスが助けるという話があった。その挿絵が、岩に鎖でつながれている裸のアンドロメダの絵でして、別に「夜のお供」ってわけではないんですが、「わーい」ってひそかに思うページだった。

ネットで画像を検索すると出てきたページ。
https://blogs.yahoo.co.jp/makinomasaki2281/38522209.html

見比べたわけではないけど、三番目のルーベンスの作品だったかもしれません。

こういう絵の主題って、昔の人にとってポルノの代用物みたいな役割があったのかもしれませんが、今の感覚と全く同じかどうか。
Posted by kuroneko at 2019年03月03日 23:26
 >kuronekoさま

 >実際に画を描かないと実感がわかないような・・・。

 こちとらの私的な妄想に過ぎないことをあえて実験(?)までしていただき恐縮です。どうも私の場合は性的に興奮すべきでないシチュエーションから性的な刺激をひそかに得るということに対する如何ともしがたい執着があるみたいで、そこからすると「芸術」を志す画学生と「芸術」のために真剣に裸になるモデルという状況設定そのものが悲しいかな、単なるエロのためのエロよりもはるかにエロく感じられてしまうというか・・・・・。映画にしても同じ事情で、男女が本当に性交しているハードコア作品よりも男優と女優があそこに前バリを張ってからみあう何ちゃら映画祭参加作品なんかの濡れ場の方がはるかにエロく感じられてしまいます。女優の前バリの裏側はどうなっているんだろうか。ひょっとすると真剣に濡れ場を演じるあまり、前バリの裏側も濡れてしまっているんじゃなかろうかとか・・・・・。

 >岩に鎖でつながれている裸のアンドロメダの絵

 これが岩波少年少女文学全集の中の一冊というところが驚きです。子供向けの文学全集に関してはこの時代のほうが現在よりもはるかに大らかだったのかも知れませんね。私の場合なんかは子供の頃の「夜のお供」はもっぱら竹藪の中で拾ってきたカピカピの「100万人の夜」とか「世界裸か美画報」といったエロ雑誌群だったんですが、英才教育的にはトマス・ブルフィンチ『ギリシャ・ローマ神話』の方がはるかに優れていたのではないかと。
Posted by 下等遊民 at 2019年03月04日 21:25
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