たものの、折りも折り、自民大敗の参院選結果を大々的に伝え
る7月30日の朝刊に小田実氏死去の記事を発見した時には、
なにやら小田氏が今回の参院選結果を確認してから旅立たれた
ような気がしてならなかった。
「朝まで生テレビ」で小田氏独特のあの一種凄みのある風貌
や、早口でアグレッシブな弁舌を見聞きすることがなくなって
久しい気がするが、現在最も印象に残っているのは、やはり右
翼団体正気塾構成員による本島長崎市長銃撃事件の直後に放映
された「朝生」でこの事件をめぐって右翼の大物たちを敵に回
し、ほとんど孤軍奮闘状態で論戦というより罵倒合戦を展開し
た時のことである。この罵倒合戦と平行するかのように、小田
氏の自宅には右翼からの脅迫電話が殺到したことも司会の田原
総一郎氏による脅迫者への警告によって明らかにされた。
今回は小田氏を追悼する気持ちを込めつつ、かつての「ベ平
連」(「ベトナムに平和を!市民連合」)に関する資料を集め
た「となりに脱走兵がいた時代」(思想の科学社)という本か
ら小田氏の発言をいくつか拾ってみることにしたい。
「グローバルであるとかないとか意識して運動を始めたので
はない。自然にわれ=われの世界のなかに、われ=われのつな
がりのなかにアメリカの兵隊も入って来た。ここでもうひとつ
大切なことは、このデモに入りましょうと人びとに呼びかけた、
入って一緒に歩こう、と言ったことだ。入ってきた人が脱落
してもいい。いやになったらやめてもいい。このことは、この
運動が間違っていたら一緒にやらなくてもいい、なんでも一緒
主義というのはおかしい。例えば、子どもの入学式でのことだ
けど、君が代が鳴ったらみんな立ち上がった。私と私の人生の
同行者は座ったわけ、それを聞いた人が、君が代反対の運動を
しないのかと言う。それは違うと思う。ひとりでもやめるとい
うことが大切。ひとりでやめたらいいのよ。何も組織しなくて
も。」
「ひとりでもやめる、これが脱走兵の原理だ、いやならやめ
る、ひとりでも行かない。脱走兵援助を始めた時に言われた、
基地反対闘争を組織しないんですかと。それは違う。ひとりで
もやめたらいい。軍隊というのは兵隊で成り立っているんだか
ら兵隊がひとりずつやめたらいい。」
「ベ平連では人にやれとか、来いとか、すくなくとも私は言
ったことはない。私はするとは言った。あなたはどうしますか
とは言った。あとは、するしないは個人の自由を貫き通した。
すくなくとも私はそうした。私の貫くものも今に至るまで同じ。
おれはするけど、あんたどうするっていうのがだいじだと思う。」
「脱走兵で感心したのはひとりでもやめると言ったことだ。
人に言われたんじゃないとちゃんと書いていた。ひとりでもや
める、そのことが、脱走兵援助でいちばんだいじなことだった
と思う。ひとりでもやめる、ひとりでもやる、そのことに徹す
ることが日本の社会に必要なことだと思う。学ぶんだったらそ
こを言わなければいけないと思う。ベ平連運動のいちばん大切
なところはそこだったと思う。」
(以上「ベ平連とは、脱走兵援助活動とは何だったのか」
より)
闘病中の小田氏は、手紙の中で「デモ行進に出ることも、集
会でしゃべることももうありませんが、書くことはできますの
で、できるかぎり、書き続けて行きたいと考えています」と述
べていたそうであるが、改憲策動がますます活発化しつつある
今こそ小田氏にはもっともっと書き続けてほしかったと残念で
ならない。
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在日と結婚してからは北朝鮮のエージェント。
売国奴ですね。
コメントありがとうございました。
この「ひとりからはじめる、ひとりでもやめる」と言うのは、日本人の特性で言うと、マイノリティにならざるを得ない。けれども、なぜか日本人はそういう人たちを遠くから常に注目します。Yさんみたいに。そこにマジョリティになる契機があるのかもしれません。
「ひとりからでもはじめる」と言うことでは、じつは「ひとりからでも入れるローカルユニオン」がい非常な勢いで広がっています。新しい労働運動のあり方を示しているということで注目したい。
率直に言って、何を仰りたいのか全くわからないのですが。小田実氏はベトナム戦争に反対する運動はしましたが、その考え方の立脚点はあくまでもアメリカ型自由主義にあり、もし小田氏に対する批判がありうるとすればアメリカ型自由主義の限界を指摘するといった形のものになる筈です。そうした理論的批判に対してなら大いに興味がありますが、○○のエージェントといった類いの十年一日の陳腐なレッテル貼りには正直うんざりです。
「ひとりからはじめる、ひとりでもやめる」という「脱走兵の思想」は当時まだ輝きを失っていなかった実存主義とも非常に近いところがあり、事実、ベ平連には大江健三郎氏をはじめとした多くの実存主義者が関わっていました。
「ひとりからでも入れるローカルユニオン」がいま非常な勢いで広がっているとすれば、かつての実存主義がいまやっと労働運動の場でも試されだしたと見るべきかも知れませんね。
ハワード・ジンと小田のかかわり:
http://www.kobushi-shobo.co.jp/foramu/kf6susen.htm#oda
岩国市民にも、ひとりからはじめる。。運動を期待したい