を、今度は自分たちが米兵にやられると思い込んでいた。だか
ら米兵に捕まるくらいだったら自決しろと民間人を指導する。
それによってたくさんの民間人が集団自決した。」
(幻冬舎刊「爆笑問題の戦争論」より)
昨年、文科省は高校歴史教科書の沖縄「集団自決」の記述に
ついてイチャモンをつけ、旧日本軍による強制を意味する表現
をすべて削除させた。これに対し沖縄では11万人を集めた大
抗議集会が開催され、文科省による「集団自決」の「殉国美談」
化策動は一応阻止されたが、「自由主義史観研究会」や「新し
い歴史教科書をつくる会」などといった歴史修正主義者たちは
この「殉国美談」化策動を決して断念した訳ではなく、虎視眈々
と失地回復を企んでいるというのが現状だろう。
さて「集団自決」について最初に明らかにしたのは沖縄タイ
ムス社の「鉄の暴風」であるが、1949年当時、「鉄の暴風」
を取材執筆した記者の一人である太田良博氏が後に「集団自決」
という言葉について、「『集団自決』という言葉は私が考えて
つけたものである。島の人たちは、戦時、『玉砕』『玉砕命令』
『玉砕場』などといっていた。『集団自決』という言葉が定着化
した今となって、まずいことをしたと私は思っている。この言
葉が、あの事件の解釈をあやまらしているのかも知れないと思
うようになったからである。・・・・・あの事件は、じつは
『玉砕』だったのだ」(太田良博著作集・3「戦争への反省」)
と書いていることに私はこだわりたいと思う。沖国大教授の石
原昌家氏も「”集団自決”という言葉をたとえカギカッコ付き
であっても使うべきではない。自決というのは自らの意思によっ
て死んだという意味。したがって、軍人が自らの責任をとって
死ぬことに使うことはできても、語句本来の意味から、住民に
対しては集団自決という用語は使用できない。集団で命を絶っ
た実態は、日本軍の作戦による強制や誘導、命令によるものだっ
たので『強制集団死』『強制死』として本質をとらえ直さなけ
れば、真実を見誤ってしまう」と主張しているように、言葉と
いうものは(特に歴史的事件に関しては)よほど注意して用い
ないと後に大きな禍根を残すことになってしまうのだ。
特に昨年の教科書検定や曾野綾子の「ある神話の背景」の場合
などは「この言葉が、あの事件の解釈をあやまらしている」と
か「真実を見誤ってしまう」などといったレベルをはるかに超
えて、明らかに悪意による揚げ足取りとしか言いようがないわ
けだから。
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知りませんでした。
1949年かぁ。時代もあるのかな? それが定着して謝った解釈につながってしまう。
またまた言葉の重みを感じてしまいます。
TBを送らせてもらったエントリーをすぐに読んで頂けたことにまずは感謝!
>1949年かぁ。時代もあるのかな?
サンフランシスコ講和条約が調印された1952年までは軍歌やチャンバラ映画にいたるまで軍国主義や封建主義の匂いがする表現はGHQによってかなり厳しく規制されてたそうですから沖縄タイムス記者が「玉砕」という言葉を避けて敢えて「集団自決」という言葉を用いたのもGHQに対するある種の配慮だったのかも知れませんね。これはあくまで勝手な憶測ですが。もしそうだとすれば「集団自決」という言葉が後に歴史修正主義のゴロツキどもにかえってつけ入る
隙を与えてしまったのはまさに歴史の皮肉としか
言いようがありません。言葉というものは本当に難しい。
>右派のブログに言って、沖縄の玉砕は軍命令じゃないですよね。命令書がないから。ってコメントしたらどうなるのかな、
どういうリアクションが返ってくるのか興味津々ですね。案外マジに共鳴されたりとか。実は頂いたコメントに刺激されて右派(らしき)ブログがこの問題についてどう論じているのかちょっくら覗いてみたのですが、面白かったのは「軍の命令」があったこと自体は否定できないにしてもそれは決して「悪意による命令」ではなく「善意による命令」だったとするもの。漫画家の小林よしのりもこの立場を取っているそうですが、「地獄への道は善意で鋪装されている」(マルクス「資本論」)という言葉の正しさがまさかこういうところで証明されようとは!