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サブカル雑食手帳

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2016年03月24日

エロ雑誌の中の「昭和」(7)

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 ジプシー・ローズといえば、エキゾチックな美貌と大胆なグラインドダンスで、昭和20年代後半に一世を風靡した伝説のストリッパーだが、「100万人のよる」(季節風書店)昭和34年(1959年)1月号に掲載された彼女の手記「浮き沈み・はだか放浪記・酒乱といわれてドン底六ヵ月」には、東京日劇ミュージックホールにおける他のダンサーからの凄まじいイジメの事実が詳細に書かれていて、これでは彼女が酒に溺れてしまったのも無理はない、といった気にさせられるのである。当時、「ジプシー・ローズがアル中で再起不能」と報じた新聞記事もあったらしく、それについては彼女自身、この手記の冒頭でも、「私の病気休演は、ジャーナリズムにとっては恰好の材料だった。アル中で頭がおかしくなったのではない、わたしはただそれだけがいいたかった・・・・・。」と否定しているが、その8年後(昭和42年)、アルコール中毒による心臓麻痺で32年の短い生涯を終えたのだった。

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2016年03月17日

エロ雑誌の中の「昭和」(6)

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戦後最大の奇書と言われる「家畜人ヤプー」が都市出版社より刊行されたのは昭和45年(1970年)のことだが、作者である沼正三氏が匿名作家であったため、「ヤプー」刊行直後には様々な週刊誌が「『家畜人ヤプー』の作者探し」に乗り出したようである。一方、「ヤプー」の生みの親である「奇譚クラブ」(暁出版株式会社)も、昭和45年(1970年)7月号に「週刊誌にみる『まぼろしの“沼正三”』」(新宿町人)というコラムを載せ、「週刊文春」と「女性自身」がほとんど時を同じくして、沼正三氏をめぐる記事を掲載したことを取り上げているのだが、こちらの論調は週刊誌とは対照的にいたって冷静(異端雑誌としての矜持?)であるところが面白い。

「『家畜人ヤプー』が、二万五千部も出る時代なのだから、沼さんが、『おさわがせしまして』
 と、だしぬけにカムバックするのはおかしくないかもしれないが、カムバックするならするで、もうすこしムードを盛ってほしかった。そして、どうしても解けないギモンはかつて、あれほど世にかくれようと努力してきた沼さんが、まるで人間が変わったように前記二大週刊誌を舞台に、テレもせず、堂々と、本名まで推測させるような現われかたをした点である。
 沼さんよ、あまり人さわがせしないでくださいね。」(「奇譚クラブ」昭和45年7月号「週刊誌にみる『まぼろしの“沼正三”』」より)

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2016年03月11日

エロ雑誌の中の「昭和」(5)

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 昭和48年(1973年)、上村一夫の人気劇画「同棲時代ー今日子と次郎ー」(「漫画アクション」1972年3月2日号〜1973年11月8日号)が松竹で映画化され、その中で披露された由美かおるの見事なヌードとともにちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
 「実話とマンガ」(東京三世社)昭和48年(1973年)8月号の「由美かおるがオシッコの最中をのぞかれた?出演局のトイレに侵入したヘンなファン」という記事には由美かおるのヌードを見て興奮したあまり、とんでもないことをしでかしてしまった男のことが取り上げられている。記事によると、男は由美かおるが出演予定の某テレビ局の男子トイレに侵入、「歌謡ショー」の深夜の録画どりを終えた某女性歌手が、となりの女子トイレに入るや否や、隠れていた男子トイレから飛び出してきて、いきなり彼女に襲いかかった。男は下半身むき出しのままで、「命が惜しかったら由美かおるをここへ呼んで来い」とささやいた。彼女は「すぐ呼んでくるから・・・・・」とウソをついて、廊下に飛び出すとすぐさま警備員に急報、男は交番に突き出されたが、「同棲時代の映画を見てからすっかり由美かおるのファンになった。一度でいいからあんなスバラシい体に触れて見たいと思った。はじめは、彼女のヌード写真を壁や写真帳に貼りつけていたが、それではがまんできなくなった。週刊誌で知った彼女の自宅をなんどかうろついたが押し込むチャンスがない。たまたま、あのテレビ局に出演するのを知って二時間前から張り込んでいた。かならず彼女は女便所に来ると予想し、男便所で機会をうかがっていた。ちょうどそこへテレビで見かけた新人の女性歌手が来たので呼んでくれと頼んだ。あの美しい肌に触れれば死んでも本望だった」と自供したとのこと。
 結局、「由美かおるがオシッコの最中をのぞかれた?」なんてことは、?マークを付けるまでもなく、なかったことになるが(思わせぶりにもほどがある!)、それにしても「同棲時代」のヒットがもたらしたとんだ災難だったというべきだろう。

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2016年03月06日

エロ雑誌の中の「昭和」(4)

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1970年前後の大学闘争華やかなりし頃、活動家達が被るヘルメットは、赤ヘル(共産同系)、白ヘル(革共同系)、青ヘル(社青同系)といったように、所属するセクトによって色分けされていたが、中には既成のセクトに属さず、少人数で過激なゲリラ活動を展開する黒ヘルグループもいて、そのヘルメットには大抵、「ノンセクト・ラジカル」を意味する「NОN」の文字が記されていた。当時、10・21国際反戦デーなど、多くの活動家が集まるお祭り騒ぎでは必ずといっていいほど、こうした黒ヘルグループによるジグザグデモを目にしたものである。「問題SM小説」(コバルト社)昭和47年(1972年)6月号に、「黒ヘルゲリラの女」(沖春二)というタイトルのSM小説が掲載されているのを見ただけでも、その当時、「黒ヘル」が時代を読み解くキーワードのひとつであったことがわかるような気がするのである。
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2016年03月03日

エロ雑誌の中の「昭和」(3)

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 前回の「.エロ雑誌の中の『昭和』」では、昭和30年代におけるボットン便所(汲み取り式便所)にまつわる話を取り上げたが、今回は昭和30年代における水洗式トイレにまつわる話ということで、「週刊特報」(新樹書房)昭和37年(1962年)6月14日号の中の「緊急特報! 断水トイレに泣く東京のBGたち」という記事を取り上げてみることにしたい。最近のことはよくわからないが、この「週刊特報」が出た昭和37年当時の東京では、断水になることが少なくなかったようで、この記事では断水という事態が女性達にとっていかに悩みの種であったか、その具体例がいろいろと取り上げられていて興味深い。たとえば、水が流せないと、おしっこの発射音が外につつ抜けになってしまうなんてことも女性達にとってはなかなか深刻な事態だったようであるが、男共にとってはまったく事情が違っていた。中には、「女の子は、よく、水洗のヒモをひっぱって水を流しながら、その水音にまぎれてやるでしょう。ところが、ヒモをひっぱったって出ないんだから、こりゃシャクだったと思うでしょうね。きっと・・・・・。しかしね、水の出ないおかげで、あのナマの音をきいていると、体の特徴が手に取るようにわかりますよ」と言ってのける不届き野郎も。都市部では昭和30年代中頃くらいまでには、水洗式トイレがほぼ普及し終わったそうであるが、トイレが汲み取り式から水洗式に変わったからといって、一朝一夕に快適な文明生活(?)が訪れたわけではなかったということである。ちなみに、「BG」とは今でいう「ОL」のこと。
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2016年03月01日

エロ雑誌の中の「昭和」(2)

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 「トイレット部長なんていう本をみると、便所の中には実にさまざまなものが落ちているが、ベルトやコウモリ傘(!)はおろか、ときにはハイヒールがしかも片方だけ(!)落ちていることもある、というのだから、おどろく。
 もし、はいていた靴を、あやまって落としたとしたら、どうやって帰ったのだろう。摩訶不思議というほかないではないか。」

 ↑に引用したのは、、「別冊 実話三面記事」(日本文芸社)昭和38年(1963年)2月号の「街で拾った珍談集」という記事の中の文章であるが、今と違って、便所といえば、まだほとんどがボットン便所(汲み取り式便所)だった昭和30年代ならではの珍風景であるとも言えるだろう。ちなみに、ネタ元の「トイレット部長」(著者である藤島茂氏は国鉄本社施設局建築課課長として、駅舎の公衆トイレの設計と敷設に関わった人物)は、昭和35年に刊行されるやたちまちベストセラーとなり、翌年(昭和36年)には、東宝で映画化(池部良・主演)されたそうである。

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2016年02月25日

エロ雑誌の中の「昭和」(1)

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1960年代後半から1970年代半ばにかけて、巻き起こった小劇場ブーム。その象徴ともいえる日本初のアングラ専用の劇場「天井桟敷館」が渋谷並木橋に開館した1969年3月15日に、同劇場にて上演されたのが音楽劇「時代はサーカスの象にのって」であるが、その時の写真が「実話情報」(文献資料刊行会)昭和44年(1969年)6月特大号の巻頭グラビアに3頁にわたって紹介されているところを見ても、当時の小劇場ブームの過熱ぶりが如実に伝わってくるような気がするのである。このグラビア頁には、「流行のさまざまな風俗やら、新語・造語がやたらとでてくる。詩と幻想とエロチシズムの悪夢のアメリカ論とか、西洋便器のスーパーマン、青少年のための男色学入門、赤色恐怖症少年のためのリンガフォン・イングリッシュとか、金髪殺しの浴室のサーカス、アメリカ銭湯劇など、例によって例のごとく、寺山修司作の音楽劇。華麗なマス・コミ流行をとり入れた舞台は、にぎやかで退屈でむなしくて、つまんないという声もあったが、もとピンク女優さんの新高恵子ちゃんだけは、とてもよかった。<3月15日 天井桟敷館にて>」とのキャプションが付されているが、確かにこの頃の新高恵子嬢は文句なしにエロっぽい!
なお、この「実話情報」には、「情欲をパンティー泥で慰めていた小学校先生」とか「念願の“二号”はなんと美人局の性悪女だった」といったような、このテの雑誌定番のエロ記事の他に、「昭和“戦国時代”を迎えた花の農民ゲバルト作戦!ザンゴーを掘って、基地拡張反対を叫ぶ農民の反骨!」といった、立川における米軍基地拡張反対闘争にエールを送るような硬派な記事も掲載されていて、このあたりもどこか時代の空気を感じさせてくれる。

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2016年02月18日

ソノシート「白日夢の歌」

 昨年12月30日の拙エントリーで表紙のみ紹介させて頂いた「100万人のカメラ」昭和39年12月号の付録ソノシート「白日夢の歌」(歌・路加奈子)がユーチューブにアップされているのを見つけたのでレトロなエロに興味ある向きは削除されないうちにお聴きください(これ、文句なしのレアものでっせ!)。

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2016年02月14日

私はコレで議員を辞めました

 、宮崎謙介イクメン(?)議員が、「道半ば、志半ばだが、芯無くば勃たずだ」と述べ、議員辞職する意向を明らかにしたというニュースを聞きながら、昔、マルマン禁煙パイポのテレビCMの中で使われた「私はコレで会社を辞めました」というフレーズが一世を風靡(1985年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選出)していたことを思い出してしまった。あれから30年、禁煙グッズの方は進化を遂げて、今では火を点ける必要のないリキッド式電子パイポというものが出回っているそうである。

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2016年02月03日

オンナマタヂカラのレゲエダンス

 「マツコ会議」とは毎週土曜の夜、日本テレビ系列で放送されているマツコ・デラックスの冠番組であるが、1月30日に放送された「マツコ会議」の中で、オンナマタヂカラなるレゲエダンサーチームが紹介されていたのを見て、その素晴らしいお尻の動きに一発で魅了(その後、アマゾンでDVDも購入)されてしまいました。百聞は一見に如かず、「努」という漢字は「女」の「又」に「力」であることを↓の動画を見ることであらためて再認識していただきたいものであります。

posted by 下等遊民 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする